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高祖

中国の漢王朝の初代皇帝。劉邦の廟号。

項羽を滅ぼして天下を統一した漢王劉邦は、前202年、王朝の皇帝の位についた。同時に夫人を皇后、長子を皇太子とした。皇后、皇太子の語はこれが最初である。高祖は漢帝国の初代皇帝であるが、その死後はしばらく不安定な状況が続く。高祖の皇后で2代恵帝の母の呂后が実権を握り、その一族が進出したからである。しかし、呂后の死後、劉王室と功臣周勃、陳平らが呂氏一族を倒し、第5代の文帝が即位してようやく安定した。(前180年の呂氏の乱)

中国王朝の皇帝名

 なお、「高祖」は漢の初代皇帝としての廟号(廟=みたまや、の名前。ビョウゴウ)である。かれは人名としては劉邦で、死後の皇帝の廟号である「高祖」と言われるようになったが、歴史上は生前も高祖として説明している。以下の各王朝の始祖も廟号として「高祖」と言われるのものが多く、唐の李淵もそうである。他に太祖という廟号も多い。なお、一般の皇帝の名前の文帝とか武帝というのは、諡号(シゴウ、おくりな)といい、死後に皇帝の徳を称えて贈られる称号であるが、やはり歴史記述上は生前から使用する。

漢の高祖の統一政策

 漢の高祖(劉邦)は皇帝となると同時に、一族と功臣を、諸侯王としてその地の支配権を与えた。また直轄地には秦と同じ郡、県を置いて官吏を派遣して支配した。これが郡国制である。このように高祖は、秦の始皇帝のような中央集権体制をとることはせず、それ以前の封建制を残して妥協をはかり、現実的な統治策をとったといえる。また、北方の匈奴に対しては、前201~200年の作戦に失敗し、高祖自身が平城(現在の大同市)付近で冒頓単于の軍に7日間にわたって包囲され、屈辱的な和約で解放されてから、攻勢をとることが出来ず和平策をとった。
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ノートの参照
第2章3節 キ.漢代の政治