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大月氏

中央アジアのイラン系遊牧民で匈奴と争った。

 前3世紀の末に冒頓単于率いる匈奴に敗れた月氏の主力は西方に逃れ、天山山脈の北のイリ地方に移動した。それを大月氏と言う。大月氏はさらに烏孫に追われ、パミールを超えてアム川上流のソグディアナからバクトリアに入った。バクトリア王国を滅ぼしてこの地を支配していたトハラ(トカラ)国(張騫の伝えた大夏か)を滅ぼし大月氏国を建設した。前2世紀の後半には漢の武帝が派遣した張騫は、大月氏国にいたり、匈奴を挟撃することを誘ったが、大月氏国はそれに応えなかった。大月氏が匈奴に追われたのは50年前であり、今では商業都市サマルカンドなどを支配して豊かであり、再び匈奴と事を構える気はなかったかららしい。その後、大月氏の一族と言われるクシャーナ人が台頭し、後1世紀にバクトリアから北インドにかけてクシャーナ朝を成立させた。なお、中国ではこのクシャーナ朝も大月氏国と呼んでいる。
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第2章3節 キ.漢代の政治