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マグリブ

エジプトの西の北アフリカ北岸地域。ベルベル人がイスラーム王朝を建設した。

 エジプトよりも西の北アフリカ地中海岸の一帯を言う。マグリブ(マグレブとも表記する)とは、アラビア語で「日の没する地」、つまり西方の意味。そこに住む人々はベルベル人で、7世紀以降イスラーム化した。現在のモロッコアルジェリアチュニジアの3国にあたる。なお、マグリブが西方を意味したのに対し、東方、つまりアラビア半島、シリア(現在のシリアより広い概念でパレスチナなども含む)、イラクなどイスラームの中心地域をアラブ人はマシュリクと呼んでいた。

マグリブのイスラーム諸国

 イベリア半島には後ウマイヤ朝が756年から11世紀中頃まで存続したが、マグリブ地方ではバグダードのアッバース朝の支配から独立した地方政権が早くから成立した。ハワーリジュ派のルスタム朝(アルジェリア、777~909)、シーア派のイドリース朝(モロッコのフェス、789~926)、アッバース朝の宗主権を認めたアグラブ朝(カイラワーン、800~909)などである。これらのマグリブ諸王朝は、10世紀の初め、チュニジアに興ったファーティマ朝によって滅ぼされたが、ファーティマ朝がエジプトに移ってからは、1056年にモロッコに興ったムラービト朝に統一されるまで、ベルベル人のイスラーム王朝がいくつか分立した。ムラービト朝はイベリア半島(アンダルス)にも進出、1146年にムワッヒド朝に交替した。13世紀にムワッヒド朝が滅亡してからは再びイスラーム王朝の分立に戻り、モロッコのマリーン朝、アルジェリアのザイヤーン朝、チュニジアのハフス朝などが起こった。16世紀には、チュニジア・アルジェリアはオスマン帝国に征服されたが、モロッコだけはその領域に入らず、サード朝が存続した。

サハラ以南諸国との交易と征服活動

 これらのマグリブ諸王朝は、南部のサハラ砂漠を超えてアフリカ中央部の黒人国家との間で塩や金、奴隷などを盛んに交易したことが注目される。またそれが軍事的征服を伴うことがあり、ムラービト朝は1076/77年にガーナ王国を滅ぼし、サハラ以南のアフリカのイスラーム化の端緒を開いた。またその後の西アフリカに起こったマリ王国やニジェール上流に起こったソンガイ王国も北アフリカのベルベル人イスラーム諸王朝と交易した。特にトンブクトゥはその中心地として経済、イスラーム文化の中心地となった。16世紀にはモロッコのサード朝がポルトガルとの接触によって手に入れた銃器と白人傭兵部隊を使ってソンガイ王国を攻撃し、1591年にそれを滅ぼした。
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ノートの参照
第5章2節 ウ.西方イスラーム世界の変容
書籍案内

川田順造『マグリブ紀行』
1971 中公新書