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イクター制

ブワイフ朝に始まりその後のイスラーム各王朝に継承された給与制。土地そのものを与えるのではなく、徴税権という形をとった。

 946年、バクダードに入城したブワイフ朝の大アミール、ムイッズ=アッダラウは、配下のマムルークなどの軍人に対する俸給の支払いに苦慮し、俸給(アター)に代わり土地を分け与えることにした。そのような分与地をイクターといい、その地の村落の農民が耕作する土地の収益の三分の一が与えられることとなった。このイクター制によって、軍人が直接農村を支配するようになり、次のセルジューク朝に継承された。セルジューク朝では、名宰相ニザーム=アルムルクが、従来の「軍事イクター」に加え、「行政イクター」といい地方の有力アミールに領域内の財政権を与え、その配下の軍人にイクターを支給できるようにした。イクター制はアイユーブ朝のエジプト、イル=ハン国のガザン=ハンの時のイランでも行われた。<佐藤次高『マムルーク』1991 東大出版会 などによる>
 さらにオスマン帝国ではティマール制がイクター制に対応している。また、インドのムスリム政権であるデリー=スルタン朝でも同様な軍事官僚制が布かれ、次のムガル帝国では、位階ごとに禄位とそれに応じた養育する騎兵・騎馬の数を定めたマンサブダール制と、徴税権を給与として与えるジャーギール制というイクター制に類似した軍事官僚制度が採用された。

イクター制の導入事情

 アッバース朝のイスラーム社会では、高度に発達した貨幣経済を基礎に、農民から徴収された税収入はすべて現金化され、厳密な予算に基づいて現金俸給として官僚と軍隊に支給されていた。9~10世紀の世界の中で、ヨーロッパや中国では実現していなかった先進的な財政システムであった。
 しかし、アッバース朝が衰え、バグダードへの納税を拒否する独立王朝が出現すると、国庫収入は低下し、俸給支払いの遅れがしばしば軍隊の反乱を誘発する原因となった。ブワイフ朝のムイッズ=アッダウラがバグダードで実権を握ったときも事態は同様であった。輩下の軍人への俸給支払い問題に苦慮したブワイフ朝では、小麦が収穫期を迎える直前の946年3月、俸給にかえてイクター(分与地)を授与する政策に踏み切った。軍人ごとに土地を指定し、そこから俸給にみあう税額を徴収する権利を認めたのである。これをイクター制という。<佐藤次高『イスラームの英雄サラディン』1993 講談社選書メティエ p.30>
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ノートの参照
第5章2節 エ.イスラームの国家と経済
書籍案内

佐藤次高
『イスラームの英雄サラディン』
1993 講談社学術文庫