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封建社会

ヨーロッパ中世の主従関係、農奴制などを軸とした社会のあり方。

 封建社会とは、封建制度のもとでの社会を言うが、封建制度の理解には注意を要する。まず西ヨーロッパ中世における封建制度は heudalism の訳語であるが、その用語自体は、古代中国の周の封建制でも使われる。また、日本のいわゆる中世(鎌倉幕府から戦国時代、または江戸時代を含める場合もある)も封建制度の時代とされている。通常、西ヨーロッパ中世の封建制度とは、広い意味では領主農奴の関係を軸とした荘園制という生産の仕組みと、そのような生産の仕組みの上に成り立っている、領主間の主従関係を指す歴史用語である。ただし狭い意味では封建的主従関係の面だけをいうことが多い。 → 市民階級/ブルジョワ

ヨーロッパの封建社会

 ヨーロッパの封建社会については、幸いにフランスの著名な中世史家・社会史家であるジャック=ル=ゴフが書いた『子どもたちにかたるヨーロッパ史/子どもたちに語る中世』が文庫本で翻訳刊行されているので、参考にしよう。
(引用)中世社会も、あらゆる社会と同じく複雑です。なぜ中世社会を<封建制>とよぶのでしょうか。<封建制>という語は、この社会が<領主>によって支配され、領主は部下である<臣下>をもち、臣下に収入をもたらす土地<封土>を分封(<貸与>といってもよいでしょう)するところからきています。この語の示す社会システムについて、18世紀の哲学者やフランス革命時の人々は、権力者や裕福な者たちが民衆、農民、<庶民>を抑圧するものだといって、嫌悪し、否定しました。このイメージが<中世>にへばりついています。<ジャック・ル・ゴフ/川崎万里訳『子どもたちに語るヨーロッパ史/子どもたちに語る中世』2009 ちくま学芸文庫 p.197>

ヨーロッパ中世の人々

 中世の人々は二種類に大きく分けられる。人生を神と宗教に捧げた<聖職者>と、キリスト教徒でありつつも家族と職業を持つ一般信徒である。聖職者はさらに<在俗>聖職者=司祭、司教などと<修道>聖職者=修道士とにわけられる(聖職者階層制の項を参照)。一般信徒には、領主あるいは貴族(騎士)、農民あるいは農奴、それに都市住民の三つの区分がある。
領主(騎士) 最上位の身分にある騎士は二つの側面がある。騎士が所有する土地が<荘園 セニョーリ>であり、農業収入と農民の賦課租(ある額の金銭)を受け取ることから<領主 セニョール>であるとともに、一方で騎士は古代からつづく<貴族>の称号を有し、社会集団の上位である貴族階級に属していました。
農民(農奴) 貴族以外のあらゆる民衆は一般的に農民である。12世紀までは実際には自由ではなく、ラテン語の servus (奴隷)に由来する<農奴 serf>とよばれていた。しかし、古代の奴隷と違って、合法的に結婚して家庭を営むことが出来た。古代の奴隷には決して許されなかった。農奴は自ら働くこととひきかえに自由を求め、11世紀以降しだいに領主は農奴に自由を与えるようになった。農民は移動の自由や土地の開墾、自分の生産物を定期市で販売することなどを求め、いっそう強く独立を欲するようになった。こうして生まれながらにして農奴だった人も、領主によって<解放>されるようになっていった。
都市住民 11世紀から13世紀にかけて、都市は大きく発展した。都市住民は手工業や商業に就いて、領主に賦課租を払わずに生産し販売する<自由権>を、友好的に、あるいは力ずくで獲得した。都市は一般に<新集落 bourg>とよばれ、その住民が<ブルジョワ bourgeois>であった。ブルジョワという語は裕福な者という意味以前に、都市に住む住人を表していた。新集落がさらに区域をひろげたところを<新外地 faubourg>といい、その多くは城壁で囲まれていた。フィリップ2世治下の1190年~1210年のパリがそうであった。<以上、ル・ゴフ 同上書 p.198-206>
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ノートの参照
5章1節 ク.封建社会の成立
書籍案内

ジャック・ル・ゴフ/川崎万里訳
『子どもたちに語るヨーロッパ史/子どもたちに語る中世』
2009 ちくま学芸文庫