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市民階級/有産市民層/ブルジョワ/ブルジョワジー

生産力の発展を背景として成長した、私有財産を所有する一定程度豊かな都市住民層。彼らが政治権力をにぎった変革が市民革命であり、市民の自由と人権が認められ、個人として自立し、議会などを通じて政治に関わることのできる社会が市民社会。

 人間が封建的な社会関係や他律的な宗教に支配されていた封建社会に対して、自立した市民を中核とした社会が近代社会であある。「市民」概念は特に17~19世紀のヨーロッパで形成されたものであり、次の三つの側面があると考えられる。
 1.理念的には啓蒙思想、特にロックやルソーなどの社会契約説に基づく基本的人権の主体。
 2.経済的には産業革命を通じて形成された資本主義社会を構成する資本家階級。
 3.政治的には議会政治などを通じて参政権を獲得し民主主義を実現した主体。

市民=ブルジョワジー

 「市民」は「貴族」や「領主」と対する一つの階級、つまり特権や大土地の所有者ではなく、商業や小土地所有によって自立できる財産を持ち、産業の発展に伴って資本を蓄えた有産階級である「ブルジョワジー」bourgeoisie(その単数形がブルジョワ bourgeois)という概念があてはまる。マルクス主義の歴史観ではこのように階級として「ブルジョワジー」をとらえており、その訳語として「市民」を当てはめている。その理解で言えば、そのような「市民」が絶対王政や貴族、特権商人の権力を倒したのが「市民革命」(=ブルジョワ革命)であり、彼らが議会制度などを通じて国家権力を握った社会が「市民社会」であるといえる。この市民=ブルジョワジーが登場し、成長していくのは、生産力の発展、つまり農業社会から産業革命を経て工業社会になり、資本主義経済が成立していくことと重なっている。

さまざまな「市民」概念

 語源的には、ブルジョワとは中世における都市(ブルク)に住む人びと、と言う意味である。歴史用語としての「市民=ブルジョワジー」にも豊かな資本家層から、小商人、俸給生活者、下級官吏などの小市民階級(プチブルジョワなどという)も含まれる。それに対して、財産をほとんど持たず、労働力を商品として生きていくしかない階級を労働者階級=プロレタリアという。これはマルクス主義の初期資本主義分析で用いられた用語であり、現在ではこのような階級的な色分けは実態に合わなくなっており、あまり用いられない。
 ただし、「市民」や「市民社会」の概念は幅が広く、また多面的であり、用いられる場面で意味が異なってくる。もう一つの「市民」概念は、現在でも一般に「市民運動」とか「市民会館」などのように使われているもので、英語の civil の訳語に当たる。これは「国家権力」や「行政」に対する、一定の地域住民の集合を言う場合である。本来は都市の住民という言う意味であった市民概念であるが、このような意味合いでは現代では農村の住民も「市民」と言われる。 civil という語はもとは聖職者に対する俗人を意味し、文明という意味もある。さらに、civilian とえいば文官、文民(武官、軍人に対して)となる。このように、幅広い用語であるが、世界史を学ぶ上では階級としての「市民」、つまりブルジョワジーを示すのもとして用いることが多い。

シティズンとバージェス

(引用)イギリス史では、「シティズン citizen」と「バージェス bourgeois」(フランス語で言うブルジョワ)という言葉が必ず出てきます。字義通りには、シティズンはシティの市民権を持った住民のことで、バージェスは、そうでない都市の住民、有産者と言うことになります。ただしイギリスでは、シティというのは非常に限られた数しかありません。アメリカ英語では、大きな町のことを何でもシティと言いますが、ほんらい、シティというのは、司教座のあった町のことで、イギリスでは26しかありませんでした。シティ・オブ・ロンドンには、司教座がありましたので、シティなのです。司教座がなくて、城塞、つまりブルクから発展した城下町をブルクと言い、そこの住民がブルジョワということになります。シティズンであれ、バージェスであれ、イギリス近世都市の中では、こうした市民権保有者は人口の半数以下であることが多く、市民ではない住民が多かったのです。ロンドンでも、市民権を持っている人の方が少なかったかもしれません。<川北稔『イギリス近代史講義』2010 講談社現代新書 p.56>

フランス革命でのブルジョワ(有産市民)

 フランスのアンシャン=レジーム下では商工業者は農民と共に第三身分に属し、人口の多数を占め、その生産と経済を担っていたが、政治的には無権利の状態に置かれていた。しかし、絶対王政のもとで、コルベール以来の重商主義政策による産業保護政策がとられるようになって次第に商工業が発達、1730年代(ルイ15世)になると、ようやく人口が増加傾向に転じ、経済成長も見られるようになった。その背景は、従来のギルド規制がくずれ、都市の親方層は分解し、農村に独自の農村工業が成長してきたことであった。特に、アルザス=ロレーヌ地方の金属工業、リヨンの絹織物、北フランス・ノルマンディ、フランドル、南フランスのラングドックなどの農村繊維工業(亜麻、羊毛、木綿)などが顕著な発展を見せた。この段階の生産方式はマニュファクチュアであり、問屋が産業資本家として資本を蓄積し始めた段階である。すでにイギリスが同じ時期に工業の機械化が開始され、1760年代の産業革命に突入したのに比べれば、フランスのブルジョワジーの成長は遅れていたと言わなければならないが、この18世紀のブルジョアジーの成長はアンシャン=レジームとの矛盾を増大させ、世紀末のフランス革命をもたらす原動力となった。