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騎士(ヨーロッパ)

ヨーロッパの中世封建社会で、騎馬で主君に従い戦闘に従事する小領主層。主君から封土を与えられ主従関係を結ぶ。その名誉を求める生き方を騎士道と行った。

 一般にヨーロッパの中世封建社会で、領主階級を構成する人々を言う。国王や有力な領主(諸侯=大貴族)を主君として封土を与えられ、家臣(臣下)として仕える小貴族であり、日頃から騎馬術や槍術、剣術を磨き、事あれば主君のため人武器を取り戦う。いわゆるナイト(knight)である。彼らは中世社会で、独特の文化を形成し、勇気・礼儀・名誉を重んじ、弱者特に女性を守ることを最上の道徳とする「騎士道」を作り上げた。

軍馬とは

 騎士(シュヴァリエ)とは馬(シュヴァル)を所有する男、の意味であり、正確に言うとそれは戦闘馬で、犂を引く農耕馬ではない。また競走馬、ましてやサラブレットではない、たくましい「軍馬」であった。この軍馬はおそらく7世紀ごろアジアからもたらされたもので、古代ローマには存在していなかった。騎士制度の時代、軍馬(デストリエ)が戦闘に用いられたのは、新規で独自なことであった。

騎士道物語

 中世では<騎士道的>(シュヴァルレスク)という語が中世の男たちの最も魅力的なイメージを表していた。今に伝わる騎士道物語の主人公たち、獅子心王リチャード1世、アイヴァンホー、ランスロット、パーシヴァルなどにその典型がある。ただし、「円卓の騎士」(アーサー王物語)などに描かれている騎士たちは実在したわけではない。

馬上槍試合


Britain's Story Told in Pictures. p.26
 かれらの第一の任務は戦闘であった。しかし戦闘はよく想像されるような一対一の個人戦ではなく、グループ同士が戦う集団戦であった。戦闘には時間と場所に制限があり、教会は「神の平和」「神の停戦」として、冬期や降誕節、四旬節などに戦闘を行うことを禁じており、戦闘は春に行われることが多かった。騎士の余暇はもっぱら狩猟と娯楽であり、また栄光と名誉を賭けて馬上槍試合をおこなった。馬上槍試合も二つのグループに分かれておこなわれた。騎士は時に命を落とすこともあり、とどめを刺す前に引き換えに身代金を得ることもあった。教会は12世紀には馬上槍試合を禁止したが、15~16世紀に再び流行した。<以上は、ジャック・ル・ゴフ/川崎万里訳『子どもたちに語るヨーロッパ史/子どもたちに語る中世』2009 ちくま学芸文庫 p.164-179>
 ジャック・ル・ゴフが、“いちばん美しく、いちばん的確に中世を描いた映画”であると評しているロベール=ブレッソン監督の『湖のランスロ』にも馬上槍試合がでてくる。すばらしい迫力なので、ぜひご覧下さい。

13世紀イギリスでの騎士

 イギリス(イングランド)の13世紀以降になると、騎士は本来の軍事的な意味を無くし、州(カウンティ)における年収20ポンド以上の財産(土地)を有する地主に対する称号に変化する。模範議会以降の身分制議会で、各州を代表する2名の騎士とは、そのような意味のものである。

騎士の没落

 十字軍レコンキスタの時代はまさに騎士が最も華々しく活躍した時代であった。しかし、14~15世紀の百年戦争やイギリスで続いて起こったバラ戦争など、長期にわたる戦争は次第にかれらを疲弊させていった。また彼らは主君から与えられた封土を荘園として経営する領主でもあったが、商業ルネサンスに伴う荘園への貨幣経済の浸透は能美からの現物地代に依存する彼らを次第に困窮させていった。それに加えて、百年戦争で大砲の使用が始まっていたが、16世紀のまさにルネサンス末期に展開されたイタリア戦争では鉄砲が一般化した。このような大砲や鉄砲などの火砲が戦闘で用いられるようになり、騎士の騎馬戦術は意味をなさなくなっていく。この軍事革命によって戦闘の主力は鉄砲で武装した歩兵集団に移って行き、騎士は役割を終えて歴史の舞台から消えていくこととなった。
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ノートの参照
5章1節 ク.封建社会の成立
書籍案内

ジャック・ル・ゴフ/川崎万里訳
『子どもたちに語るヨーロッパ史/子どもたちに語る中世』
2009 ちくま学芸文庫
DVD案内

ロベール=ブレッソン監督
『湖のランスロ』
フランス映画