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キリル文字

スラヴ語を著すための文字。キュリロスが考案したグラゴール文字をブルガリアで改良した。ギリシア正教と共にスラブ世界に広がり、現在もロシア・ブルガリアなどで使用されている。

 キリル文字は、9世紀にスラヴ人のへのギリシア正教会の布教に活躍したギリシア人宣教師キュリロスが考案したとされている文字。キュリロスは兄のメトディオスとともに文字をもたないスラヴ人への布教を進めるため、ギリシア文字をもとにしてスラヴ語をあらわす文字を考案した。従来はこれがキリル文字と考えられていたが、最近の研究ではキュリロスの作ったのはグラゴール文字といい、キリル文字はそれを改良したものであることがわかってきた。グラゴール文字は複雑で使いにくかったために実用化されず、またキュリロスのモラヴィアでの布教もカトリック教会の妨害でうまくいかなかった。
 その後、9世紀終わりごろ、ブルガリア帝国のボリス1世は国家統一のためにキリスト教を導入しようとして、キュリロスの弟子たちを招いた。その宣教師たちはブルガリアで布教するにあたって、クラゴール文字をギリシア文字を参考にして改良し、簡便な文字体系を考案した。それがブルガリア教会でスラブ語の典礼の際に用いられ、広がっていった。このブルガリアで作られた文字を、宣教師たちがキュリロスの業績を称えるために「キリル文字」と呼んだのだった。
 現在、キリル文字と言われている文字は、スラブ圏のロシアブルガリアセルビア及びその周辺のギリシア正教圏で使用されている。スラヴ系諸民族でもポーランドやチェコなどカトリック圏ではラテン文字(ローマ字)が用いられている。

グラゴール文字とキリル文字

 ビザンツ皇帝からモラヴィア王国(現在のチェコの東部)での布教を命じられたキュリロス(最初の名はコンスタンティノス)はただちにスラヴ人の言葉を書き表す文字を考案し、これを用いて『福音書選』などキリスト教関係の書物の翻訳にとりかかったという。スラヴ人の言葉をラテン文字でそのまま表記すると不都合が生じる。現在のチェコ語やスロヴァキア語はラテン文字を工夫して用いているが、キュリロスは新しい文字を造ることを選んだわけである。

Episode 神の啓示で文字を造る

(引用)いかに才能に恵まれているとはいえ、短期間で一つの言語の文字と表記法を考案するなどと言う仕事が本当にできたのかという疑問は残る。しかしここは“神の啓示によってたちまち文字をつくりあげた”という伝記の記述をあえて信用しておくことにしよう。それはともかく、ここで重要なのは、コンスタンティノス(キュリロス)の努力のおかげで史上初のスラヴ語の文章語が確立したことである。この言葉は通常“古代スラヴ語”あるいは“古代教会スラヴ語”と呼ばれ、これを用いてこの後11世紀頃までの間に生み出された文献が今でも伝わっている。ところがここで使われている文字は実は二種類あって、一つはグラゴール文字、もう一つはキリル文字と呼ばれる。コンスタンティノスが考案したのがどちらなのか、長い間論争があったが、現在では、グラゴール文字の方であろうということでほぼ意見が一致している。この文字は、形が複雑すぎたせいか、後に使われなくなってしまった。一方キリル文字は、グラゴール文字よりも簡便な表記手段として少し後に考案されたものと思われ、現在のロシアやウクライナ、バルカン方面で用いられるアルファベットの原型になっている。<薩摩秀登『物語チェコの歴史』2006 中公新書 p.24-26>

キリル文字=ロシア文字

 1917年、ロシア革命が起こり、1922年にソ連邦が成立。当初は民族主義を克服してプロレタリアート国際主義を実現するためにはキリル文字ではなくラテン文字(ローマ字)が共用文字として使用されようとした時期もあったが、次第にロシアのキリル文字が社会主義圏での優勢となっていった。ソ連邦を構成する中央アジアの諸民族だけでなく、モンゴル人民共和国でもモンゴル文字に代わってロシア文字=キリル文字が使われるようになった。その状態は1991年のソ連邦の崩壊まで続き、現在はモンゴルにおけるモンゴル文字の復活に見られるような民族固有の文字への復帰が見られる。
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薩摩秀登
『物語チェコの歴史』
2006 中公新書