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ギリシア正教会/東方教会/東方正教会

コンスタンティノープル教会を首座とするビザンツ帝国の教会制度とその教説。ローマ教会と分離し、東方教会(東方正教会)と言われた。皇帝教皇主義が特色である。

 本来、コンスタンティノープル教会キリスト教五本山の一つにすぎなかったが、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のもとで独自の発展をとげ、8世紀以降、聖像崇拝問題ローマ教会と対立し、コンスタンティノープル総主教は、ビザンツ皇帝の保護のもと、自らの教えを正しいキリスト教であると唱えて「正教」(オルソドクス)と称した。特に9世紀以来、「スラヴの使徒」と言われたキュリロス兄弟によって東ヨーロッパ世界のスラヴ人に布教が進み、その教会は「ギリシア正教」(Greek Orthdox)といわれ、東ヨーロッパ世界に根付くことになる。

東方教会

 ビザンツ帝国と結びついたコンスタンティノープル総主教を中心としたキリスト教の体系を、特に教会の東西分離以降は、ローマ教会を西方教会というのに対して、東方教会ともいう。あるいは「東方正教会」という言い方もある。ただし、東方教会といった場合、ギリシア正教会だけではなく、ひろく東方で信仰を守ったキリスト教の別派を含むこともある。そのような意味では、アルメニア教会コプト教会・マロン派などがあげられる。

ローマ=カトリックとの体制の違い

 ローマ教会と最も異なる点は、皇帝教皇主義を採り、ビザンツ皇帝が教会の最高指導者を兼ねていることである。実際の教会はコンスタンティノープル総主教がその最高位であるが、ビザンツ皇帝はその任免権を持ち、常に優位に立っていた。教皇と皇帝が常に争っていた西ヨーロッパのローマ=カトリック世界と決定的に違う体制であった。同じキリスト教であり、三位一体説を継承しているので「異端」とはされないが、細部においては教義も異なっており、特に聖像崇拝問題では鋭く対立した。なによりもその儀礼において、かなりの違いが認められる(下の「ギリシア正教徒カトリックの違い」の項を参照)。

ビザンツ帝国の衰退

 7世紀には、アラビア半島に起こったイスラーム教が急速に勢力を拡大し、ビザンツ帝国領のシリア、エジプト、北アフリカを次々と支配下に収め、さらに小アジアに進出してきた。そのため、五本山のうち、アンティオキア・アレキサンドリア・イェルサレムの東方の3教会がいずれもイスラームの手におちてしまった。その結果、コンスタンティノープル教会は東方での唯一のキリスト教の中心として重きをなすこととなった。この間もローマ教会との教会の首座をめぐる朝添いは続いていたが、ついに1054年にローマ教会と互いに破門しあって教会は東西に分離した。

十字軍の要請

 しかし、11世紀の末、セルジューク朝が小アジアに侵攻し、1071年、マンジケルトの戦いでビザンツ帝国軍が敗れ、コンスタンティノープルは再び大きな脅威にさらされると、ビザンツ皇帝アレクシオス1世は、ローマ教皇ウルバヌス2世に対し支援を要請した。それに応える形で十字軍運動を開始する。ローマ教会側は東西教会の統合の機会と捉え、第4回十字軍はコンスタンティノープルを占領しラテン帝国を建てた。
 コンスタンティノープル教会はなおもギリシア正教の総本山として権威を保っていたが、ラテン帝国はまもなく倒れ、ビザンツ帝国が再興されたが、その支配領域はコンスタンティノープル周辺に限られるようになった。

オスマン帝国支配下のギリシア正教

 1453年、コンスタンティノープルが陥落し、コンスタンティノープル教会もイスラームの手におちるが、オスマン帝国はミッレト制など寛大な宗教政策をとったので総主教座は残された。

ロシアとギリシア正教

 ビザンツ帝国にかわりギリシア正教の保護者となったのはロシアであった。ロシアはウラディミル1世のとき、990年にギリシア正教を国教とし、キエフさらにモスクワに府主教座を設けていたが、1472年、イヴァン3世はビザンツ皇帝を継承し、その保護者とった。さらに1589年、ギリシア正教会の総主教座をコンスタンティノープルからモスクワに移した。

Episode ギリシア正教徒カトリックの違い

 ギリシア正教の聖職者は、黒い帽子に、黒いマントをまとい、必ず髭をたくわえている。なかには髪を長く伸ばし後ろでまとめめているのもいる。これは聖職者が必ず守らなければならない教会規定であり、守るべき伝統とされている。また、ギリシア正教と、ローマ=カトリックのちがいに、十字の切り方がある。カトリックでは、親指を折って、ひたい、胸とおろし、次に左肩にもってくるが、ギリシア正教では親指、人差し指、中指を合わせ、後の二本を折り、合わせた三本指で、ひたい、胸とおろして、右肩、左肩と描く。右を先にもってくるのは、キリストが昇天した後、神の右手に坐した、されるところから、重視するのである。<以上の項、高橋保行『ギリシア正教』講談社学術文庫 による。>
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第6章2節 ア.ビザンツ帝国の繁栄と衰亡
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高橋保行『ギリシア正教』
講談社学術文庫