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ボニファティウス8世

13世紀末のローマ教皇。フィリップ4世と争い、憤死した。

十字軍時代が終わり、ローマ教皇の権威は下降線を取り始めていたが、ローマ教皇ボニファティウス8世(在位1294~1303年)は、あいかわらず国王たちを自由に動かせると過信していた。フランス王フィリップ4世が財政難から国内の教会、修道院領に課税する方針を固めると、聖職者の訴えを受けた教皇はただちにフィリップ4世に厳重に抗議した。両者の対立はエスカレートし、フィリップ4世は初めての三部会を開催して国内の支持を取りつけ、ボニファティウス8世はローマに聖職者会議を開いて教皇権の絶対を決議した。ボニファティウス8世は1303年、アナーニ事件でショックを受けて1ヶ月後に急死した。彼の死後、ローマ教皇庁はフランスの支配を受けることとなり、教皇権の衰退は明確なこととなった。

Episode ボニファティウスの悪名

 ボニファティウス8世は、ルネサンス期に出現する、悪名高いローマ教皇のはじまりとされる。「シニカルで精力的で専制的、後生のことなど考えたこともなく、大向うを唸らせる派手なポーズの大好きなボニファティウスは、ルネサンス型、ボルジア型教皇の先駆であった。かれはあらゆる種類の罪悪を一つ一つ丹念に実行した。まず大食の罪。断食の日に六種類しか料理を出さなかったといって料理人を叱責した。つぎに食欲と贅沢の罪。衣服に宝石をいっぱいに縫いつけ、食卓には十五本の純金の棒を使っていた。その上かれは迷信家で妖術を信じていた。ナイフの柄に蛇を彫らせ、ポケットに常にエジプト金の円盤を持ち、指には皇子マンフレデイの死屍から奪った指輪をはめていたが、いずれも厄除けのまじないである。賭博も好きで、黄金のさいころを常用し、その性急さで相手を辟易させていた。だが、この教皇がもっとも渇望していたのは、もちろん権力である。教皇に選出された日、教皇帽を冠るとすぐ、私を地上における神の代理人と認めるかと、なみいる枢機卿に尋ねた。皆がそれを認めると、今度は王冠を冠り抜き身の剣を持って、では私を皇帝と認めるか、と聞いた。人柄が人柄だけに、だれもあえて否とは答えなかった。かれの政治はこのジェスチュアで始まった。」<モンタネッリ/ジェルヴァーゾ『ルネサンスの歴史』藤沢道郎訳 中公文庫 上p.35>
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第6章3節 カ.教皇権の衰退