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フィリップ4世

フランスのカペー朝の国王。1303年アナーニ事件で教皇を憤死させ、さらに1309年からは教皇をフランスのアヴィニヨンに移した。またテンプル騎士団を解散させるなど、王権強化に努めた。

 フランス王国・カペー朝の国王(在位1285~1314年)。美王(ル=ベル)。フランス絶対王政の基礎をつくった国王として重要。婚姻・相続によってシャンパーニュ、ナヴァール、フランシュ=コンテなど領土を拡大。さらにフランドル、ギエンヌの獲得を目指し、軍備の増強を進めた。

教皇との対立と三部会開催

 戦費調達のため教会・修道院に課税しようとしてローマ教皇ボニファティウス8世と対立、1302年にフランス最初の三部会を開催してその支持を取りつけた。1303年、アナーニ事件でボニファティウス8世が憤死すると、ローマ教皇庁への圧力を強めた。1309年からはフランス人のローマ教皇クレメンス5世を強制的に南フランスのアヴィニヨンに移した。これを「教皇のバビロン捕囚」(または「教皇のアヴィニヨン捕囚」)という。
 また、国内で独立した勢力となっていた宗教騎士団の一つ、テンプル騎士団を弾圧、異端の嫌疑をかけて1312年に解散させ、総長ド=モレーらを処刑してその所領・財産を没収した。

Epsode 教皇の呪いか

 ローマ教皇ボニファティウス8世を憤死させ、クレメンス5世を意のように操ったフィリップ4世だったが、彼の子や孫たちはいずれも早世し、カペー朝はまもなく1328年に断絶する。フィリップ4世の甥に当たるヴァロア家のフィリップがヴァロワ朝を開くことになるが、フィリップ4世の娘のイサベルがイギリス王に嫁いで生まれたエドワード3世もフランス王継承権を主張し、その争いは百年戦争の発端となる。その時代の人は、フィリップ4世の子孫たちの不幸を、ボニファティウス8世の呪いではないか、と恐れたという。
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ノートの参照
5章3節 キ.イギリスとフランス