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朱印船貿易

16世紀末~17世紀初め、豊臣秀吉、徳川家康が行った官制の海外貿易。

 豊臣秀吉が朱印船貿易を開始したが、徳川家康がさらに積極的に海外貿易を推進し、朱印船貿易を展開した。貿易の利益を幕府が確保するために、海外渡航船には許可制とし、朱印状を発行し、そのような朱印状を持つ貿易船を御朱印船と言った。島津氏や細川氏などの西国の有力大名や、京都・大坂・堺・長崎の豪商が朱印状を受けて東南アジア各地に貿易船を派遣した。日本銀・銅・漆器などを輸出し、生糸・絹織物・鹿皮・蘇木・砂糖などを輸入した。著名な朱印船貿易家には長崎代官だった末次平蔵、大坂の住吉孫左右衛門、京都の角倉了以・茶屋四郎次郎などがいる。
 鎖国政策がとられる直前の1635年まで、日本の御朱印船は台湾、フィリピン、ベトナム、カンボジア、タイなどとの交易を行っていた。東南アジア各地に渡航した日本人は、アユタヤやマニラなどに日本町を作り、拠点とした。カンボジアのアンコール=ワットにはこのころに訪れた日本人の落書が残っている。
 徳川家康の時代までは盛んに朱印船貿易が行われたため、キリスト教宣教師の活動も黙認され、南蛮文化も長崎を中心にして拡がっていった。このようにキリスト教禁教令と矛盾が強まっていったが、1616年の家康の死によって幕府は急速に鎖国政策に傾き、1631年には海外渡航の船には朱印状のほか老中奉書を必要とすることにし(奉書船)、さらに33年には奉書船以外の海外渡航を禁止して朱印船貿易は行われなくなり、35年には日本人の海外渡航、海外からの帰国も全面的に禁止された。