印刷 | 通常画面に戻る |

アンコール=ワット

12世紀に建設されたカンボジアの大寺院建築群。アンコール朝でヒンドゥー寺院として建設されたが、12世紀には仏教寺院としても用いられた。現在世界遺産とされている。

アンコール=ワット
アンコールワット
 アンコール朝時代の文化遺産である。アンコールとは「都市」、ワットが寺を意味するので「首都の寺」となる。12世紀前半、スールヤヴァルマン2世ヒンドゥー教の寺院として建設した。中央と四隅に塔を持ち、周囲の回廊の壁面には『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』の物語が細かにレリーフされており、見る人を圧倒する。12世紀末のジャヤヴァルマン7世は仏教を厚く信仰するようになり、アンコール=ワットも仏教寺院として用いられるようになった。
 アンコール=ワットは東南アジアの文明を代表する遺跡であり、現在のカンボジア王国の国旗にも用いられている。1970~80年代のカンボジア内戦で荒廃し、ユネスコを中心とした保存運動が展開されている。上智大学の学長石沢良昭氏はアンコール=ワットの研究者で、その保存運動に取り組んでいる。

Episode アンコール=ワットの日本人の落書き

 アンコール=ワットには、鎖国以前に訪れた日本人の落書きが一四カ所ほど残っている。その一人の「肥州の住人藤原朝臣森本右近大夫一房」は、父儀大夫の菩提を弔い、老母の後生を祈るため、はるばる数千里の海上を渡り、寛永九(1632)年正月にこの寺院に到来し、仏像四体を奉納した、と墨書している。森本右近大夫は肥前松浦家の家臣で、父儀大夫は加藤清正の家臣で朝鮮の役で武勇を馳せた人物であった。当時は徳川家康の朱印船貿易が盛んに行われ、カンボジアにもたくさんの日本町がつくられていた。日本人はこの地を「祇園精舎」と思い込んでいたようで水戸の彰考館には「祇園精舎の図」としてアンコール=ワットの図面が残されている。森本右近大夫の子孫は岡山に現存し、彼の墓も京都で見つかったが、位牌には森本左大夫となっている。彼が落書を残した1632年には日本人の海外渡航禁止令が出されており、彼も帰国後は名前を変えなければならなかったらしい。<石澤良昭『アンコール・ワット 大伽藍と文明の謎』 1996 講談社現代新書 p.193>

出題

07年センター本試験 第1問B
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第2章2節 イ.インド・中国文化の受容
書籍案内

石澤良昭『アンコール・ワット 大伽藍と文明の謎』 1996 講談社現代新書