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アユタヤ朝

14~18世紀、タイのアユタヤを都として繁栄したタイ人の王朝。

 タイシャムという国名でヨーロッパ人にも知られていた。)のアユタヤ朝は、タイ人チャオプラヤ川下流のアユタヤを中心に1351年に建国された。その後、米・獣皮・象牙・綿花・香辛料などの輸出を盛んに行い、チャオプラヤ川に面した港からバンコク湾にでて南シナ海からベンガル湾を通じてインドと、さらに中国とも交易を行ったので港市国家と言うことができる。また他の東南アジア諸国と同じく、上座部仏教を保護し、都のアユタヤをはじめ各地に仏教寺院が建設された。その勢力は1432年に東のカンボジア(アンコール朝)を壊滅させ、1438年には北方のスコータイ朝を併合して強大となった。16世紀からはポルトガルとの交易が始まった。1569年には西のビルマに起こったトゥングー朝に侵攻され、15年間その支配を受けたが、16世紀末には独立を回復し、逆にビルマに侵攻した。このころアユタヤは国際商業の中心地として栄え、日本町も建設された。17世紀中頃まで、オランダ、フランスも加えてさかんに貿易が行われ、1680年代には親フランス政策をとりルイ14世の宮廷に使節を派遣している。たが、18世紀にはいると外国勢力の伸張に危機感を持った王が鎖国政策をとった。ビルマにコンバウン朝が起こると再び侵攻を受け、1767年、アユタヤは破壊され、アユタヤ朝は滅亡した。アユタヤは400年にわたり、都として繁栄し、仏教文化が花咲いたが、このときのビルマの侵攻によって徹底的に破壊されてしまった。
 

出題

 04年センター本試験 第4問B