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ユートピア

1516年発表のトマス=モアの主著。理想社会を描くことを通じ、当時の社会への批判を展開した。当時問題となっていた囲い込み運動を批判した一文でも知られる。

 1516年に発表されたトマス=モアの主著。ヒスロディという名の人物(アメリカ大陸を発見したと言われていたアメリゴ=ヴェスプッチの航海に同行したという設定になっている)が対話するという形式をとり、理想社会としてユートピア(モアがギリシア語から造語したもので、「どこにもない国」の意味)という国を仮想し、イギリスの制度や社会を批判した。彼の描いたユートピアでは、人は6時間しか働かず、余暇を教養を高めることに充てることができ、僧とか貴族は存在せず、誰もが満ち足りた生活のできるものであった。一方で奴隷の存在はそのまま認めるなど、当時の限界を示している。また、当時進行した、新興地主による農地の囲い込み(第一次エンクロージャー)を、「羊が人間を食べている」として批判したことも重要。『ユートピア』発表の翌年、ドイツでルターの宗教改革が始まる。

『ユートピア』ところどころ

 トマス=モアが描く理想郷ユートピアはどんなところでしょうか。いくつか興味深い話をとりあげてみます。訳はいずれも岩波文庫の平井正穂訳による。

自由に出入りできる家

:「どの家にも入口は二つある。一つは表通りへ、も一つは裏の庭へという風に。どちらの入口も両開きになっていて錠もかかっていなければ閂もおろされていない。指先で一寸押しただけでもすぐ開くし、閉まるのもひとりでに閉まる。したがって家の中に入ろうと思えば誰でも自由に入ることができる。それというのも、家の内には私有のもの、つまり誰々個人のものといったものがないからである。家そのものは十年ごとに抽籤によって取換えることになっている。」<p.77>

6時間労働制

:「ユートピア人は昼夜を24時間に等分し、その中僅か六時間を労働にあてるにすぎない。すなわち、午前中三時間の労働、正午には直ちに昼食、食後は二時間の休息、その後で再び三時間の労働、次に夕食、――とこういう風になっている。・・・・・生活必需品にしろ文化品にしろ、あらゆる必要な物資を潤沢豊富にそろえるには、六時間という労働は決して足らないどころか、むしろ多すぎるくらいなのである。・・・・まず第一に、ほとんどすべての女子が、この仲間(労働者)にはいる。これが全人口の半数を占めているのである。・・・・」<p.82-84>

大きな病院

:「なんといっても彼らが一番大きな注意を払っているのは、病院に入院している病人である。市のまわりの、城壁から少し離れたところに四つの病院があるが、これらの病院は、その大きさ、広さ、そのどっしりとかまえている有様はまるで一小都市の観さえあるくらいである。なぜこんなに大きく設計されたかというと、その理由の一つは、病人がどんなに多くてもけっして込み合ったりごたごたしないように、つまり、のびのびと気持ちよく療養できるようにというためである。」<p.98>――これは現代日本ではまさにユートピアになってしまった。

金を便器に使う

:「金や銀でだいたい彼らは何をつくるかといえば、実に便器である。汚い用途にあてる雑多な器具である。さらに奴隷を縛るのに用いる足枷・手枷の鎖である。そして最後に、罪を犯したために破廉恥漢として皆に蔑まれている人間が耳につける耳飾りであり、指にはめる指輪であり、首にまく鎖であり、はては頭にまく鉢巻である。かようにしておよそ考えられるあらゆる手段方法を通じて、金銀を汚いもの、恥ずべきものという観念を人々の心に植えつけようとするのである。・・・・金というものは元来それ自体としては何の役にもたたないものである。にもかかわらず今日全世界の人々の間において非常に尊重されている、それも、元来なら人間によって、そうだ、人間が用いるからこそ、尊重されていたのに、今では逆に人間自体よりももっと尊重されている。なぜそうなのか、ユートピア人にはどうしても合点がいかないのである。」<p.103,p.107>

奴隷制度

:「一般に戦争中に捕らえられた俘虜は奴隷にしない。それから奴隷の子も奴隷にはしない。また、外国からつれだしてきた人間はどんな人間でも、たとえ外国で奴隷であったにしても、ユートピアでは奴隷にしない。奴隷にするのは彼ら自身の同胞で凶悪な犯罪を犯したため自由を剥奪された者か、他国の都市で重い罪科の為に死刑の宣告を受けた者かに限られている。・・・(彼らは)全く度しがたい人間というほかはなく、苛酷な刑に充分値するというのである。もう一つ別な奴隷がいるが、これはもともと外国で哀れな労働者として酷烈な仕事をやらされていた者で、自ら志願してユートピアの奴隷となった者たちである。これらの奴隷に対する取扱は全く良心的でその待遇も丁寧であり、・・・自由民とほとんど変わりないくらいである。・・・」<p.130>

外国と同盟を結ばない

:「同盟というものは、他の所では国と国との間で結ばれては破られ、破られては結ばれるといった工合に、反復常なきものであるが、ユートピア人はどこの国とも同盟を結ぶということはしない。・・・・・けちな山や川のために国土が離れ離れになっているからといって、まさかその国民たちが人間性という絆で一つにならないわけでもあるまいし、ただこういう同盟などというものがあるために、かえって国民どうしが生まれながらお互いに仇であり敵であるような錯覚を持つにいたるのである。・・・・人間本来の友愛の精神こそもっとも強固な同盟にほかならない。そうだ、人間というものは同盟の条文よりも愛と寛裕によって、また単なる条文よりも溢れるばかりの誠意によってこそ、強く、固く一つに結ばれることができるのだ。これが彼らの信念なのである。」<p.140,142>

戦争を呪う

:「戦争や戦闘は野獣的な行為として、そのくせそれを好んで用いる点にかけては人間にかなう野獣は一匹もいないのだが、彼ら(ユートピア人)は大いに嫌い呪っている。そして他の国々の習慣とはちがって、戦争で得られた名誉ほど不名誉なものはないと考えている。・・・自分の国を守るためか、友邦に侵入してきた敵軍を撃退するためか、圧政に苦しめられている友邦国民を武力に訴えてでも、その虐政の桎梏から解放してやるためか、そのいずれかでないかぎり戦争をするということはない。・・・」<p.144>

真の共和政国家

:「この国は、単に世界中で最善の国家であるばかりでなく、真に共和国(コモン・ウェルス)もしくは共栄国(パブリック・ウィール)の名に値する唯一の国家であろう。いかにも共和国(コモン・ウェルス=公共繁栄)という言葉を今でも使っている所は他にもいくつもある。けれども実際にすべての人が追求しているものは個人繁栄(プライヴェイト・ウェルス)にすぎないからだ。何ものも私有でないこの国では、公共の利益が熱心に追求されるのである。・・・・・今日いたる所で繁栄をほしいままにしているあらゆる国家のことを深く考える時、神に誓ってもよいが、私はそこに、共和国の名のもとにただ自分たちの利益だけを追求しようとしている金持の或る種の陰謀の他、何ものも認めることはできない。」<p.176、p.178>

現代に通じるトマス=モアの「喝」

 以上、その内容はテューダー朝ヘンリ8世の統治するイギリス王国に対する辛辣な批判である。ただし、いずれもユートピアを見聞してきたヒスロディの言葉として述べられいる。トマス=モアは自らは聞き手としての立場にとどまり、末尾で「結局私としては、たとえユートピア共和国にあるものであっても、これをわれわれの国に移すとなると、ただ望むべくして期待できないものがたくさんあることを、ここにはっきりと告白しておかなければならない。」<p.182>と述べている。用心深く、自分の意見ではないと表明したわけであろう。しかし、次の文は、時代を超えて、現在の年金問題などにみられる日本国家のありかたに対する「喝」として聞こえるのである。
「紳士などと呼ばれている連中や金属商人や怠けることかお世辞をいうことしか知らない奴らやつまらない娯楽の創案者などに多額の報酬を払っているくせに、国家がたちゆくためになくてはならない貧しい百姓や坑夫や人夫や馬車引きや大工などに対してはなんら厚遇する道を知らない国家、いや、さらに、若い元気な時にはさんざん労働者たちを酷使しておきながら、彼らが年をとって老衰と病気に悩まされ全く無一文になってしまうと、もう彼らの昔のあれほどの仕事ぶりも忘れ果て、あれほどの貢献にも知らん顔をして、あげくの果ては冷酷にも、悲惨なのたれ死をもって御恩返しをしようという国家――こういう国家こそまさに不正な、不人情な国家というべきではないだろうか。」<p.177-178>
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トマス=モア/平井正穂訳
『ユートピア』
岩波文庫