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万人祭司主義

ルターはすべてのキリスト者は祭司であると説き、教皇や聖職者の権威・特権を非難した。プロテスタント諸派の共通の考え方となる。

 キリスト教の信仰者はひとしく神の前で祭司である、というルターに始まる考え。聖職者(祭司)と一般信者を厳しく区別するカトリック教会の考え方とまったく対立する思想であり、ルター派、カルヴァン派などのプロテスタントに共通するものである。  ルターは、1520年に発表した『キリスト者の自由』で、キリスト者は信仰によってのみ義とされると説き、信仰によって霊的に自由となってすべてに対する王者となること、同時に隣人に対して愛によって奉仕することではすべてに対する奴隷となると表現した。そのような意味から、キリスト者はすべてが祭司なのだと説いたのだった。ではキリスト教界において、祭司と平信徒の間には一体どういう区別があるのか、という問いに対しては
(引用)私はこう答える。祭司とか僧侶とか聖職者とかこの種の用語が一般の人々から取りのけられて、今や聖職者階級と呼ばれる少数の人々にしか適用されなくなったという事実が、これらの用語法を不当ならしめたのであると。聖書には、学者たちや聖職者たちを単に奉仕者、僕(しもべ)、執事と呼んで、つまり他の人々に向ってキリストと信仰とまたキリスト教的自由とを説教すべき任務を負う者となしているだけで、それ以外に何の差別をも認めていない。……然るに今やその執事職から現世的外的な、輝かしい威厳ある主権と権力とが発生し、正当な地上の権威でさえどんな方法をとってしてもこれと匹敵することができなくなり、平信徒のごときはほとんどキリスト教的信徒とは別の者ででもあるかのようにされるにいたった。そのためにキリスト教的な恵みも自由も信仰も、またわれわれがキリストから受けるあらゆるものについての理解が全く失われ、キリスト自身さえも奪い去られ、その代わりとしてわれわれの得たものは夥(おびただ)しい人間的な律法と行いとに過ぎないで、われわれは全く地上において最もやくざな人たちの奴僕となってしまったのである。<ルター/石原謙訳『キリスト者の自由』岩波文庫 p.29-30>
 この後半は、激烈なローマ教皇及びカトリック教会聖職者への批判である。彼等を「地上において最もやくざな人たち」と言っている。これでは教皇は怒るはずだが、たしかに言っていることは的を射ている。 → 聖職者階層制
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8章3節 イ.カルヴァンと宗教改革の広がり