ドレーク
イギリスのエリザベス1世時代に、私拿捕船の船長として活躍。1577~80年、イギリス人としては初めて世界周航に成功。1588年にはイギリス海軍を率いてスペインの無敵海軍を破った。
イギリスでは、エリザベス1世の時代に、私拿捕船(私掠船ともいう)といって、政府から免許状を受けて海賊行為を行う船があった。特にスペイン船で新大陸との貿易船を襲撃して略奪をする私拿捕船が多かった。この私拿捕船の船長として最も有名なのがフランシス=ドレーク(ドレイクとも表記) Francis Drake 1540?-1596 である。彼は西インド諸島(カリブ海)でスペイン船を襲っていたが、1577年~80年には、マゼランに次ぐ2回目の(イギリス人としては初めて)世界周航を、途中スペイン船からの略奪をしながら、達成した。この航海は女王自身も出資し、ドレークのもたらした富は、60万ポンドという莫大な金額にのぼり、エリザベス女王は4700パーセントの配当金を得ていたという。<増田義郎『略奪の海カリブ』岩波新書 P.77-78>
※マゼランは太平洋に出るルートは自分たちの通った海峡だけしかないと信じていたが、ドレークはさらに南に、南米大陸(最南端のホーン岬)と南極大陸の間の広い海峡を発見し、狭いマゼラン海峡ではないルートを開くこととなった。この海峡は現在はドレーク海峡と言われている。
※マゼランは太平洋に出るルートは自分たちの通った海峡だけしかないと信じていたが、ドレークはさらに南に、南米大陸(最南端のホーン岬)と南極大陸の間の広い海峡を発見し、狭いマゼラン海峡ではないルートを開くこととなった。この海峡は現在はドレーク海峡と言われている。
スペイン無敵艦隊を破る
ドレークは、1588年にスペインの無敵艦隊が侵攻しようとしたとき、海軍副司令官としてアルマダ戦争(海戦)でイギリスを勝利に導く大きな殊勲をたてた。(引用)1588年には、周知の如くイギリスがスペイン無敵艦隊を撃破したが、このときも本来の活動舞台であるカリブ海を飛び出したドレイクが主導的な役割を果たした。しかも、この事件はスペインの侵略からイギリスを救ったというだけのものではなかった。それは、イギリスの海軍力がスペインのそれを凌駕したことを象徴していたし、そのうえこのとき示された教訓は、こともあろうにカディス港に侵入して「スペイン国王の顎ヒゲを焦がす」という、ドレイクの勇敢このうえない離れ業によって、再確認された。事態の推移にあきれはてたローマ教皇は、フェリーペの剣よりはエリザベスの糸繰棹のほうが鋭いらしい、と象徴的な言辞を弄した、<エリック=ウィリアムズ/川北稔訳『コロンブスからカストロまで(Ⅰ)』1970 岩波現代新書 2014 p.100>
Episode “ドレークが来るぞ!”
(引用)ドレイクは伝説上の人物と化し、殖民地では彼の名を聞けば泣く子も黙るといわれるほどになった。武運つたなかったスペイン無敵艦隊の提督は、自宅の窓から「ドレイクが来るぞ、ドレイクが来るぞ」とよばわる悪童連に悩まされた。しかし、カリブ海域史にとってこれより重要だったのは、ドレイクが1586年6月28日にバーリ卿に語ったと言われる次の言葉であった。いわく、「こう申してはスペイン王のお気には召しますまいが、スペインの防衛網にはまことに大きな穴があいているのです」と。 <エリック=ウィリアムズ『同上書』p.101>