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アッシニア

フランス革命時に、財政難を解決するため、没収した教会財産を担保に発行した国債を紙幣として強制流通させた。

フランス革命前からの財政難を解決するために、国民議会はフランス全土の約1割に相当する土地を資産として有している教会財産に眼を着けた。1789年11月、国民議会は上級の聖職者の抵抗を排除して、タレイラン(彼自身が聖職者出身であったが)が提案した、教会財産の没収=国有化を採択した。そしてその資産を担保として、アッシニア(アシニャ)とよばれる国庫債券を発行しうることとした。アッシニアとは「支払いに充てる」と言う意味で、本来は紙幣ではなく、政府はこのアッシニアを割引銀行に渡して銀行券の担保にあて、国有財産の売却が進むに応じて、これを回収して廃棄することにしていた。つまりアッシニアは国有財産の引換券を意味していた。しかし、アッシニアは国民議会が予想したような信用力を持たなかった。人々は教会財産の没収が果たしてできるのか、疑問としていたからである。結局、議会はアッシニアを強制通用力をもつ紙幣に切り換えざるを得なかった。1790年、国はその負債を「無利子のアッシニア紙幣で」支払い、その発行限度を12億リーブルに引き上げることを決定した。<河野健二『フランス革命小史』1959 岩波新書 p.102>

アッシニアの濫発

 このアッシニアはその後も大量に発行され、紙幣の価値下落は、物価騰貴をもたらした。このインフレーションによって上層ブルジョワは利益を得たが、民衆生活は革命の進行と共に苦しくなり、大きな問題を残すこととなった。1792年9月のヴァルミーの戦いの勝利以来、フランス軍は攻勢に転じ、93年2~3月にはイギリス・オランダ・スペインなどの対仏大同盟(第1回)にたいする宣戦布告により、ほぼ全ヨーロッパを相手とした戦争に突入した。その財源は、アッシニアの無制限の発行によってまかなわれたため、当然に価値下落と物価騰貴をもたらした。  
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ノートの参照
第11章3節 イ.立憲君主政の成立