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ラ=マルセイエーズ

フランス革命の革命防衛のための義勇兵が歌い全国に広まり、後にフランスの国歌とされる。

ラ=マルセイエーズ
ラ=マルセイエーズの楽譜
 フランス革命の中から生まれた革命歌であり、現在のフランス国歌となっている。はじめ、1792年にオーストリアと開戦することとなったとき、国境の町ストラスブールの市長がライン部隊のために、ルジェ=ド=リールという大尉に作曲を依頼したもの。当初はほとんど反響はなかったが、7月の連盟祭に向けてパリに集まってきた義勇兵の中で、遠く離れたマルセイユからやってきた義勇兵が、その行進にこの極を使った。その勇壮な歌詞と心を鼓舞するメロディがパリの人々の心を捕らえ、爆発的に歌われるようになり、「ラ=マルセイェーズ」と言われるようになった。第1節は次のようなものである。
 ゆけ、祖国の民よ/時こそ至れり/正義の彼らに旗はひるがえる/聞かずや、野に山に敵の叫ぶを/悪魔の如く、敵は血に飢えたり/立て、国民よ、いざ武器を取れ/進め、進め、あだなす敵を倒さん・・・・
このような血なまぐさい歌詞に違和感を覚える人も多いが、いまだにフランス人の多くはこの革命から生まれた国歌を誇らしげに歌っている。この歌は王政復古期には歌うことを禁止されたが、七月革命で再び革命歌として歌われるようになり、1879年にフランス国歌に制定された。
 → ラ=マルセイエーズ 歌詞と演奏(YouTube)

Episode ラ=マルセイェーズの作者、反革命に走る

 ラ=マルセイェーズを作詩・作曲したルジェ=ド=リールはちょっと音楽の才はあったが、無名の人物であった。その彼が一晩で書き上げたという「ライン部隊の歌」が、フランス革命の中で革命歌としてもてはやされ、ましてやフランス国歌になるとは本人も考えてはいなかっただろう。彼の作った歌は彼の手を離れ、一人歩きしてしまった。ところがルジェ自身は、革命の進行には疑問を持っていた。ジャコバン派の独裁の時代になると、彼に作曲を依頼したストラスブール市長もギロチンにかけられ、彼自身も反革命の罪名で処刑されるところだったが、ぎりぎりでジャコバン派が失脚して刑を免れた。しかし彼はその後も革命と世間にそっぽを向き、孤独でひねくれた老人として、年金も与えられず、1836年にひっそりと息を引き取った。その死後、ようやく功績が認められて国立墓地に埋葬されたという。<ツヴァイク『歴史の決定的瞬間』「一夜の天才-ラ=マルセイェーズ」による>
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ノートの参照
第11章3節 ウ.戦争と共和政
書籍案内

ツヴァイク/辻ヒカル訳
『歴史の決定的瞬間』
1997 白水社