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マレー連合州

1895年成立のマレー半島のイギリスによる保護国。第一次大戦後マラヤ連邦として独立。

マレー半島(マラヤ)は19世紀にイギリスの植民地となってゆき、イギリス領マラヤが成立した。そこでは、スズ鉱の開発に始まり、ゴム園、鉄道の開設がイギリス人の手によって経営的に完成した。しかしそれはこの土地に押し込められた人間にとって分裂の始まりであった。東岸と西岸が分裂し、それぞれに人種集団の相違が絡んだ。西岸ペラク、セランゴール、ネグリセンビラン、パハンの各国(かつてのマラッカ王国が衰退した後に生まれたイスラーム系小首長国)では内陸にスズ鉱が開発され、イギリスの手によって鉄道が敷設された。ゴム園も鉄道沿線に開かれて、イギリスの市場と直接結びついて発展した。1895年、この4カ国はイギリスの傘下に入り、協定によってマレー連合州となった。これはイギリスの保護国であり、イギリス人理事官がいっさいの行政権限を確保していた。マレー連合州の成立により、マレー半島は次のように三分された。
 ・イギリス直轄植民地(海峡植民地)=シンガポール、マラッカ、ペナン島
 ・マレー連合州(イギリスの保護国)=西岸ペラク、セランゴール、ネグリセンビラン、パハン
 ・非連合州=北部のケダー、ケランタン、トレンガヌー、および東南部のジョホールなどの小首長国
このうち北部三国はシャム(タイ)への帰属意識も強かったので英領化が遅れた。20世紀初頭までにはこれらの非連合州も事実上イギリスの植民地支配を受けることとなる。 → マラヤ連邦の独立
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ノートの参照
第13章2節 ウ.東南アジアの植民地化