印刷 | 通常画面に戻る |

マレー半島

マラヤ半島とも言う、インドシナ半島から東南に延びた半島。東南に広がる島々との海上交易が盛んであり、文化的には諸島部に入り、仏教、ヒンドゥー教の後にイスラーム教が伝播してマラッカ王国が成立。その後、オランダ、イギリスが進出し、イギリス領マラヤとなり、戦後にマレーシアとして独立。半島先端のシンガポールは海上交易の要地としてさかえ、マレーシアから分離独立した。

 現在は、北はタイとビルマが領有し、南部はマレーシアの一部となっている。その南端にシンガポール島がある。またマラッカ海峡を隔ててスマトラ島が平行している。マレー半島の住民(マレー人)は本来、マレー=ポリネシア語族系で諸島部の現在のインドネシアの人々と同系統であったので、文化圏としては諸島部にはいることに注意すること。
 シュリーヴィジャヤマラッカ王国はマレー半島とスマトラ島を勢力範囲とする港市国家であったが、マレー半島には1511年のポルトガルによるマラッカ占領から植民地化が始まり、ついで1641年にオランダ領となり、19世紀にはイギリスが積極的に植民地化を進め、イギリス領マラヤが成立した。1824年のイギリス=オランダ協定でオランダとの植民地分割が合意され、マレー半島はイギリス領とされた。
 また、本来のマレー半島は、海岸部はマングローブ林が広がる泥地であり、内陸は山地が多く、河川流域にの狭い平地もほとんど沼沢地であったので農耕には向かなかった。近代のスズ鉱山の開発、ゴム園やパーム椰子などプランテーションの設置にともなってマレー半島の地形と景観は大きく変化した。平行して中国人(華僑)とインド人の流入も多くなり、現在は多民族地域となっている。
 マレー半島は、インド洋(その一部のベンガル湾)と南シナ海(その一部のシャム湾)を隔てているが、古代のこの地の東西交易は、マラッカ海峡の通行が季節風で制約されたから、河川を利用して内陸に入り、船を陸揚げして半島をこえるコースがとられていた。半島部の最も狭い地峡がクラ地峡である。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
2章2節 ア.東南アジアの風土と人びと