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甲午農民戦争/東学党の乱

1894年、東学の指導者が起こした農民反乱。それを口実に日清両軍が出兵し日清戦争となった。

1894年2月、全羅道で郡役人の不正に反対し、東学の地方幹部であった全琫準が指導する反乱が起こった。農民軍は一万名以上に増え、反乱は農民戦争へと発展した。反乱は反日反閔氏政権の様相を強め、全州府を占領した。閔氏政権は清に出兵を要求、清が出兵すると日本は天津条約に基づき出兵、朝鮮支配をめぐって両国は日清戦争となる。反乱軍は日本の出兵に反対して戦ったが、30~40万の犠牲を出して敗退し、鎮圧された。日本ではこの反乱を「東学党の乱」ともいうが、単なる農民反乱の域を超え、農民が主体となって侵略軍である日本軍と戦ったものなので甲午農民戦争と言われるようになった。
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ノートの参照
第13章3節 エ.東アジア国際秩序の再編