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ヘルツル

ハンガリー生まれのユダヤ人。ドレフュス事件に遭遇し、反ユダヤ主義に反発し、1897年、シオニズム運動を組織した。

ヘルツル(1860~1904)はハンガリーのブダペスト生まれのユダヤ人で、1891年にウィーンの新聞の特派員となり、ドレフュス事件に遭遇する。彼はユダヤ人はヨーロッパ社会に同化できると考えていたが、パリで見たのは「ユダヤ人を殺せ!」と叫ぶフランス人の姿であった。反ユダヤ主義の根強さにショックを受けたヘルツルは、ユダヤ人問題の解決には自らの国を建設するしかない、と考えるようになった。1896年には『ユダヤ国家』という小冊子を書きユダヤ人国家建設の道筋を示したが、ここで示された、ユダヤ人の手によるユダヤ人の国家建設、という主張をシオニズムといい、ヘルツルはその指導者となった。
 1897年スイスのバーゼルで初のシオニスト会議を開催、ヘルツルを議長とする世界シオニスト機構が生まれた。ヘルツルはオスマン帝国のスルタンに直接働きかけるなど活動を続けたが、過労から肺炎を起こし44歳で死去した。彼の狙いはすぐには実現しなかったけれども究極的にはイスラエル国家の建設に通じることとなった。現在もイスラエルでは「建国の父」と仰がれ、イェルサレムを見下ろすヘルツル山と呼ばれる小高い丘に眠っている。<上田和夫『ユダヤ人』1986 講談社現代新書 p.180-182>
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ノートの参照
第14章1節 ウ.フランス