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反ユダヤ主義

19世紀後半にヨーロッパで高まったユダヤ人を蔑視する思想。

 1870年代~80年代に、ユダヤ人に対する排斥論がヨーロッパで高まった。それを反ユダヤ主義、またはアンチセミティズムともいう。
 それ以前から、ヨーロッパのキリスト教社会では、ユダヤ教の信仰を守るユダヤ人に対する迫害が常に発生していた。特に中世後期、ローマ教会の権威が動揺すると、教会による異教徒に対する迫害は強くなり、ユダヤ人への憎悪感が生まれた。この宗教的反ユダヤ感情は、次第に人種的な差別感にも転じ、黒死病(ペスト)の流行をユダヤ人の陰謀とするなど、社会の敵役とされるケースが多くなった。

近代の反ユダヤ主義

 フランス革命後はユダヤ人にも市民権が認めれるようになったが、ユダヤ人が経済的に成功すると、それに対する反発が貧困層から強くなり、差別意識はさらに強くなった。19世紀にはナショナリズムの勃興とともに、イギリス・フランス・ドイツ・ロシアでそれぞれ国内の異民族としてユダヤ人を排斥する論調が強まった。フランスで1894年に起こったドレフュス事件も軍部・右翼による反ユダヤ主義が背後に存在した。ロシアでは、アレクサンドル2世の暗殺(1881年)をユダヤ人の犯行ときめつけ、1万5千人のユダヤ人が殺された。それ以後、ポグロムという組織的なユダヤ人迫害が、20世紀の初めまで続いた。さらに作曲家ワグナーは論文と音楽を通してアーリア人の優越を主張し、ユダヤ人を攻撃した。このような流れのなかで出現したのがナチスのユダヤ人迫害と絶滅計画の実行(ホロコースト)であった。
 このような反ユダヤ主義の横行に対して、ユダヤ人側から抵抗しようとしたヘルツルは、19世紀末にシオニズムの運動を組織し、その中から、ユダヤ人のパレスチナへの移住、第二次世界大戦後のイスラエルの建国が行われ、その結果として多数のアラブ難民が生まれるという、現代の最も深刻な対立の一つが始まることとなる。
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ノートの参照
第14章1節 ウ.フランス