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イスラエル (1)建国とパレスチナ戦争

1948年5月、国際連合のパレスチナ分割決議に従って建国を宣言したユダヤ人国家。反発したアラブ連盟との間でその後四次にわたる中東戦争を戦い、領域を拡大しているが、対立はさらに激化している。

 パレスチナの地にヨーロッパ各地から移住してきたユダヤ人が、アラブ人との対立を深めパレスチナ問題が深刻になると、第一次世界大戦以来この地を委任統治していたイギリスがその期間満了を機に国際連合に解決を一任した。

イスラエルの建国

 その結果、1947年の国際連合総会において、パレスチナ分割案勧告決議が成立した。それは、パレスチナの地を二分するが、両者の区域が混在する複雑な区分であった。ユダヤ人はそれを受け入れて、1948年5月14日にイスラエルという新国家を建設し独立宣言を行った。初代首相はベングリオン。イスラエルの建国は、19世紀後半に起こったシオニズムの帰結であった。ユダヤ人は古代のパレスチナがローマの属州になって滅亡し、ユダヤ人が離散してから約2000年を経て、ようやく民族の国家を再建したこととなり、そのことを旧約聖書の「出エジブト」(エクソダス)に喩えている。

パレスチナ戦争の勃発

 イスラエルの独立宣言とともに、周辺のアラブ諸国からなるアラブ連盟はそれを認めず、一斉にイスラエル領内に侵攻し、パレスチナ戦争(第1次中東戦争)が勃発した。イスラエル側はこの戦争を「独立戦争」と称している。イスラエル軍はアラブ諸国の歩調の乱れに乗じて個別に休戦協定を結び、国連のパレスチナ分割案よりも広い領域を占領し、独立を確保、さらに国際連合に加盟して国際社会に承認された。 → 中東戦争
 イスラエルは、聖地イェルサレムを首都と定めたが、旧市街を含む東イェルサレムはヨルダンの支配下に置かれ、「嘆きの壁」に近づくことはできなかった。イスラエルは1967年の第3次中東戦争でイェルサレム全域を実効支配するに至り、1980年には改めて首都であることを宣言して国会、政府機構を移転させた。しかし、アメリカを初め国際社会はイェルサレムをイスラエルの首都と認めておらず、大使館などはテルアビブに置いている。

イスラエル (2)ユダヤ人の移住と中東戦争

1948年、パレスチナに建国されユダヤ人多数が移住しアラブ人との対立強まり、70年代までに4度の中東戦争を戦う。

ユダヤ大移民時代

 1948年、パレスチナ戦争(第1次中東戦争=イスラエルから言えば独立戦争)で勝利したイスラエルは、それまでのヨーロッパ各地からだけではなく、中東地域からも多数のユダヤ人が移住してきた。1948年から51年までを「ユダヤ大移民時代」とよび、人口は70万から140万に倍増した。しかし、ユダヤ人と言っても、戦前のヨーロッパからナチスドイツの迫害を逃れてパレスチナに移住していた「アシュケナージム」と言われる人々と、建国後にアジア・アフリカ地域かあ移住したユダヤ人との間に、貧富の格差が大きくなり、経済危機が広まった。イスラエルには戦前の入植時代からロシア系ユダヤ人によって社会主義的集団農場であるキブツが作られ、移住者を吸収し、独特の生産と軍事的性格を持つ制度として存在していた。

第3次中東戦の勝利

 イスラエルはアメリカ・イギリスからの支援と、西ドイツからの賠償金で経済を維持していたが、一挙に国内の不況を解決したのが、1967年の第3次中東戦争であった。この戦争でヨルダン川西岸(東イェルサレムを含む)、ガザ地区シナイ半島ゴラン高原を占領、積極的に入植者を送り込んだ。このイスラエルの建国と領土拡大に伴い、多くのパレスチナ人が難民となって周辺に移住した。その中からパレスチナをイスラエルから解放することをめざすパレスチナ解放機構(PLO)との激しい対立が始まった。

核武装疑惑

 イスラエルは周辺をアラブ諸国に囲まれているところから、高度の軍事国家として装備を最大限現代化している。その核武装については、一切明らかにしていないが、保有は公然の秘密とされている。イスラエルとしては、イランに核武装の疑惑がある以上、自衛のための核保有は当然と意識しているのであろう。そのため、1968年に締結され70年に発効した核拡散防止条約(NPT)には加わっていない。
 2015年の国連における核拡散防止条約再検討会議において、アラブ諸国が中東の非核交渉開始を提案したことに対して、アメリカが反対したのは、同盟国イスラエルの核保有が明るみに出ることを恐れたためと考えられており、オバマ大統領の非核構想の二枚舌性が露呈した格好となっている。
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第16章1節 エ.南アジア・アラブ世界の自立