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リビア

トリポリとキレナイカを併せた地域。1923年、オスマン帝国からイタリアが併合した。1951年、連合王国として独立。1969年、革命によりカダフィ大佐の独裁政治が始まり、2011年のアラブの春の一環で独裁政権が倒された。

リビア YahooMap

 地中海に面した北アフリカの国で、西部はトリポリ、東部はキレナイカという。古代ではトリポリはカルタゴの勢力圏に入り、キレナイカ(キレネ)はギリシア人の植民市として建設された。ローマ帝国時代にはその属州となった。
 7世紀にアラブ人に征服されてイスラーム化し、16世紀からオスマン帝国の支配を受けトリポリ・キレナイカと言われるようになる。

イタリアの植民地リビア

 帝国主義時代になって対岸のイタリアが進出を図り、1911年9月に侵攻を開始、12年までのイタリア=トルコ戦争によって植民地とした。1923年、イタリアはその地を古代ローマ時代の地名であるリビアに改称した。イタリアの植民地支配下で、イスラームのスーフィズムの一派サヌーシー教団による抵抗が展開された。

リビアの独立と革命

 第二次世界大戦では、イギリス・フランス軍が侵攻、イタリア・ドイツ軍との戦場となった。戦後は英仏が統治したが、1951年に独立してサヌーシー教団の指導者を国王とするリビア連合王国となった。1969年、エジプト革命のナセルの影響を受けた青年将校らのクーデターが発生、王政が倒され共和政となった。その指導者がカダフィ大佐で、以後彼の掲げた「大衆による直接民主主義」(ジャマヒリア)という理念により、独自の国家体制がちられて、その独裁的な支配体制が長期にわたり続くこととなった。

カダフィ独裁体制の崩壊

 2011年、隣国チュニジアから始まったアラブの春の民主化運動がリビアに波及、首都トリポリや大都市ベンガジで民衆暴動が起こった。カダフィ大佐は軍、警察を動員して弾圧したが、反政府勢力は欧米諸国に軍事支援を要請、北大西洋条約機構(NATO)がそれに応えて軍事介入してカダフィ大佐を追い詰め、ついに10月20日、出身地のシルト郊外で拘束した。カダフィはその後殺害され、独裁政治が終わった。
 カダフィ後のリビアは、豊富な石油資源を狙う外国資本、さらに内部の部族対立など困難な問題を抱え、国民国家として存続できるかどうかまだ予断を許さない状況が続いている。

リビア内戦 傭兵が戦力に

 2011年の「アラブの春」でカダフィ独裁体制は崩壊したものの、新国家建設には難航した。首都トリポリには国連の支援で暫定政権が発足したが、東部を拠点とする部族勢力が「リビア国民軍」(LNA)を結成、2019年4月から暫定政府に対する軍事行動を開始し、リビア内戦となった。暫定政府はトルコとカタールが支援し、トルコは2020年1月にリビアに派兵、これに対してLNA側にはロシアやエジプト、アラブ首長国連邦が支援し、内戦は国際的な対立に及んだ。激しい戦闘が1年以上続いたが、国連が仲裁に動き、今年8月双方が停戦に応じた。さらに2020年10月19日から国連事務総長特別代表代行のウィリアムズ氏の仲介でジュネーヴで交渉が行われ、23日、全土での恒久的な停戦合意が正式に成立、即日発効した。双方の軍に加わったロシアやトルコから送り込まれた傭兵は3ヶ月以内に出獄させることで合意、今後はこの傭兵の出国が滞りなく実行されるかが焦点となる。<朝日新聞 2020/10/24>

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