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リビア

トリポリとキレナイカを併せた地域。1923年、オスマン帝国からイタリアが併合した。1951年独立。

 地中海に面した北アフリカの国で、西部はトリポリ、東部はキレナイカという。古代ではトリポリはカルタゴの勢力圏に入り、キレナイカ(キレネ)はギリシア人の植民市として建設された。ローマ帝国時代にはその属州となる。
 7世紀にアラブ人に征服されてイスラーム化し、16世紀からオスマン帝国の支配を受けトリポリ・キレナイカと言われるようになる。

イタリアの植民地リビア

 帝国主義時代になって対岸のイタリアが進出を図り、1911~12年のイタリア=トルコ戦争によってイタリアの植民地となれた。1923年、イタリアはその地を古代ローマ時代の地名であるリビアに改称した。イタリアの植民地支配下で、イスラームのスーフィズムの一派サヌーシー教団による抵抗が展開された。

リビアの独立と革命

 第二次世界大戦では、イギリス・フランス軍が侵攻、イタリア・ドイツ軍との戦場となった。戦後は英仏が統治したが、1951年に独立してサヌーシー教団の指導者を国王とするリビア連合王国となった。1969年、エジプト革命のナセルの影響を受けた青年将校らのクーデターが発生、王政が倒され共和政となった。その指導者がカダフィ大佐で、以後彼の「大衆による直接民主主義」(ジャマヒリア)を掲げ独自の国家体制がしかて、その独裁的な支配体制を続けた。

カダフィ独裁体制の崩壊

 2011年、隣国チュニジアから始まったアラブの春の民主化運動がリビアに波及、首都トリポリや大都市ベンガジで民衆暴動が起こった。カダフィ大佐は軍、警察を動員して弾圧したが、反政府勢力は欧米諸国に軍事支援を要請、北大西洋条約機構(NATO)がそれに応えて軍事介入してカダフィ大佐を追い詰め、ついに10月20日、出身地のシルト郊外で拘束しした。カダフィはその後殺害され、独裁政治が終わった。
 カダフィ後のリビアは、豊富な石油資源を狙う外国資本、さらに内部の部族対立など困難な問題を抱え、国民国家として存続できるかどうかまだ予断を許さない状況が続いている。
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ノートの参照
第14章2節 ア.アフリカの植民地化