印刷 | 通常画面に戻る |

ナセル

ナセル
Jamal Abd al-Nasir
1918-1970

1952年ナギブらとともに自由将校団をひきいて王政を倒し、エジプト共和国を樹立するエジプト革命を成功させた。1956年から大統領として独裁的実権を握り、スエズ運河国有化などを実行、第2次中東戦争を戦う。第三世界のリーダーとしても活躍。1964年、第3次中東戦争に敗れ、指導力を低下させ、70年に死去。

 英語表記はGamal Abdel Nasser 正確には、アブド=アンナースィル。ナーセルとも表記するが、日本では「ナセル」が一般化した。パレスチナ戦争(第1次中東戦争)に軍人として従軍し、エジプト軍の敗北を体験、ムハンマド=アリー朝の王政の腐敗を断つ必要を痛感し、革命運動を準備した。

エジプト革命

 ナセルは士官学校の仲間と語らって青年将校を中心とした自由将校団を組織、年長のナギブ中将をその団長とした。1952年クーデターを実行してファルーク国王を追放してエジプト革命を成功させ、エジプト共和国を成立させた。大統領はナギブ中将が就任したが、穏健派のナギブに対し、ナセルは積極的な社会改革を主張して対立し、1954年にナギブ大統領を追放して自ら首相に就任、56年6月23日には国民投票を実施して大統領に選出され、以後、1970年に急死するまでその地位にあった。。

アジア=アフリカ会議

 ナセル政権は1954年にはスエズ運河のイギリス軍を撤退させることに成功、55年インドネシアのアジア=アフリカ会議(バンドン会議)に参加し、ネルー、チトー、スカルノ、周恩来と並び、第三世界のリーダーとして知られるようになった(この時点ではまだ首相。大統領就任は56年6月)。アジア=アフリカ会議では平和十原則をとりまとめる上で盡力した。
 またイスラエルに武器援助を続けるアメリカを牽制してソ連から武器を買い付け、中国とも国交を樹立して冷戦下のアメリカの「封じ込め政策」を妨害した。

スエズ国有化と第2次中東戦争

 ナセルは大統領として1956年にはスエズ運河国有化を宣言、その利益でナイル川上流にアスワン=ハイダムを建設すると発表した。これに反発したイギリス・フランスはイスラエルを動かしてスエズ運河を目指して侵攻させ、スエズ戦争(第2次中東戦争)が始まった。ナセルのエジプト軍は緒戦でイスラエル軍の奇襲を受け、シナイ半島を占領されるなど不利な闘いを強いられたが、国際世論はアメリカを始めイギリス・フランス・イスラエルを非難する声が強く、英仏はスエズ運河のエジプトによる管理を認めなければならなくなった。戦いには敗れたものの、国際世論を味方にしてスエズ運河国有化を成功させたナセルはエジプトのみならず「アラブの英雄」として一躍有名となった。
 1958年にはシリアと合同してアラブ連合共和国を結成し、アラブ世界の主導権を握り、さらに1961年にはユーゴスラヴィアのティトー、インドのネルーとともに非同盟諸国首脳会議を呼びかけベオグラードで開催し、第三世界のリーダーの一人としての存在感を増していった。
 ナセルの人気は、その華々しい国際的な活動によるところが多かった。国内では、ナセルの社会主義寄りの姿勢に対して、イスラーム法に基づいた政治を掲げるイスラーム原理主義者集団として台頭したムスリム同胞団が批判を強めた。ナセルはそれらの反体制運動を厳しく取り締まった。

第3次中東戦争とその死

 しかし60年代にはいると、シリアがアラブ連合から離脱してナセルの指導力はかげりを見せ始め、1967年の第3次中東戦争での敗北を受け、敗戦の責任をとって辞任を決意したが、国民の辞任反対の声が強く、辞意を撤回した。しかしその指導力はエジプト国内でも、アラブ世界でも次第に低下し、苦慮する内に1970年に急死した。次期大統領にはナセルの副官であったサダトが就任した。

ナセル主義の要点

 ナセルは、ナセル主義といわれる独自の路線で、1950~60年代の第三世界のリーダーを務めたが、その柱は次の三点にまとめられる。
  1. 積極的中立主義 東西冷戦下において、アメリカ・イギリス・フランスなどの西側資本主義陣営にも、ソ連などの東側共産主義陣営にもくみせず、自主独立の道を歩み、第三世界の諸国と連携をする。 → 非同盟主義
  2. 汎アラブ民族統合の理想 ヨーロッパ植民地主義はアラブ語民族を人為的に12以上の国に分裂させた。そのために兵力で優勢に立つにもかかわらずイスラエルの建国を許し、石油資源は外国の資本と世襲王政に支配されている。このような分裂状態を終わらせ、アラブ語民族を統一することを理想とした。 → アラブ民族主義
  3. 社会主義 貴族と大地主に支配され、外国資本と結びついている古い王制国家を打倒し、社会を近代化して人々を富ませるには、国家が基幹産業と公共資本を管理し、富を分配するマルクス的な社会主義経済が有効であると考え、農地改革や銀行の国有化などを行った。<藤村信『中東現代史』1997 岩波新書 p.38>
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第16章1節 エ.南アジア・アラブ世界の自立
書籍案内

藤村信
『中東現代史』
中国の歴史10
1997 岩波書店