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憲法大綱

1908年、清朝の西太后が国会開設など立憲政体を約束したが、西太后の死去により実施されず終わる。

清朝の実権を握る西太后は、義和団事変後、政権維持のため、立憲政体を採用することに踏み切った。その一連の改革である光緒新政の一つとして、大日本帝国憲法(1898年制定)を模範として、1908年に制定されたのが憲法大綱であった。これによって9年後の国会開設が約束されたが、同年の西太后の死去により、国会開設は実現しなかった。結局、清朝自らが立憲体制に移行することができず、1911年の辛亥革命余によって倒れることとなる。
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ノートの参照
第14章3節 エ.辛亥革命