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フィリピン革命

1896年から始まるフィリピンの独立と社会改革を求める革命運動。1902年までに弾圧され、アメリカの統治が成立した。

 スペイン植民地のフィリピンで、1896年8月、スペインからの独立戦争として始まり、いったん鎮圧されたが、米西戦争に乗じて共和国独立を宣言した。しかし、その後アメリカが独立を認めなかったのでフィリピン=アメリカ戦争を戦った結果、1902年に敗れてアメリカの統治を受けることとなった。

フィリピン革命の経過

  • ホセ=リサールの活動 19世紀後半、スペインからのフィリピン独立運動が活発となる中で、最初の運動の組織者ホセ=リサールがあらわれた。彼はすでに1892年に逮捕されていたが、同士のアンドレアス=ボニファシオが革命組織「カティプーナン(人民の子らの最も尊敬すべき至高の協会)」を組織、1896年8月に決起した。これがフィリピン革命の始まりであるが、銃と山刀(ボロ)で武装しただけの革命軍は、内部の連絡ミスもあって、スペイン軍に押され後退した。ホセ=リサールも12月30日に銃殺された。
  • アギナルドの活動 カティプーナンは革命政府をつくり、アギナルドを臨時大統領としたが、彼は穏健路線をとり、対立するボニファシオらを処刑するという内部分裂が生じた。アギナルドはその後、山中でのゲリラ戦を続ける一方、スペイン総督と取引し、97年降服して香港に向かった。
  • 独立宣言 1898年、米西戦争が勃発するとアギナルドは戦争後の独立の約束を得てアメリカに協力、フィリピン軍を率いてスペイン軍と戦った。同1898年6月12日、アギナルドはフィリピン共和国の独立を宣言、マロロスで議会を開催し初代大統領に就任した(第1次フィリピン共和国=マロロス共和国)。
  • アメリカとの戦い しかし、8月の米西戦争後のパリ講和会議でフィリピンは2000万ドルでアメリカに売り渡されることとなると、アメリカはフィリピンの独立を認めず軍政下に置いた。1899年2月にはフィリピン=アメリカ戦争に突入、フィリピン革命軍はアーサー=マッカーサー将軍(ダグラスの父)らの指揮する米軍に敗北し、革命は抑えつけられた。
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書籍案内

鈴木静夫
『物語フィリピンの歴史』
1997 中公新書

早瀬晋三
『未完のフィリピン革命と植民地化』
世界史リブレット
2009 山川出版社