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ソヴィエト

ロシア語で「会議」(または評議会)の意味。ロシア革命の中で労働者・兵士の代表機関として生まれ、革命を推進する権力となった。ソヴィエト大会は後にソ連の最高議決機関となり、国号の一部となる。

 ロシア語で Sovet 、英語・フランス語では Sviet 、日本では一般にソビエトとも表記される。もともとロシア語では単純な「会議」あるいは「話し合い」という意味であるが、ロシア革命の過程で革命の推進機関、さらに国家機関としての名称になった。

第一次ロシア革命でのソヴィエトの出現

 まず、1905年の第1次ロシア革命の時、各工場の労働者が代表を選挙してソヴィエトを結成したのに始まる。1905年1月9日の「血の日曜日」の事件が起きると、モスクワやリガ、ワルシャワなどで抗議のストライキが始まり、さらに全国に広がった。農民も各地の全村集会を開き、地主の農場でのストライキが起こった。労働者の運動は5月にモスクワ北東約200キロにあるイヴァーノヴォ=ヴォズネセンスクで、はじめて「ソヴィエト」という名をもった全市的な労働者の代表機関を生み出した。このようなソヴィエトは、10月から12月にかけて全国の主要都市でも組織されるようになった。ペテルブルクのソヴィエトは無党派の弁護士アルスタリヨフ=ノサーリを議長として10月に創設され、フィンランドから馳せ参じたトロツキーがメンシェヴィキを代表して、社会革命党(エスエル)のアフクセンチェフと並んで副議長に選ばれた。このソビエトは12年後の1917年の革命のさなかに復活し、きわめて大きな役割を果たすようになる。<外川継男『ロシアとソ連邦』1991 講談社学術文庫 p.298>

ソヴィエト政権/ソヴィエト=ロシア

1917年、ロシアの十一月革命で成立した、世界史上最初の社会主義政権。

 ソヴィエトは、1905年の第一次ロシア革命の時に自然発生的に組織されていた。その後消滅していたが、1917年に第2次ロシア革命が勃発すると、再び革命推進の母体として登場し、労働者・兵士の革命組織として位置づけられ、新たな権力を構築することとなった。 → ロシア
 二月革命(三月革命)によってツァーリ政府は打倒されたが、臨時政府はブルジョワ民主主義の立場に立ち、第一次世界大戦への参加を継続した。それに対して労働者・兵士の組織したソヴィエトは、徹底した改革と即時平和をかかげ、二重権力の状態となっていた。亡命先のスイスから帰国したレーニン四月テーゼを掲げて「すべての権力をソヴィエトに」を訴え、ボリシェヴィキの結集を図り、臨時政府打倒の戦いを開始した。

十月革命で成立

 同年11月7日、武装蜂起したボリシェヴィキが臨時政府を倒して十月革命(十一月革命)を成功させると、翌日、全ロシア=ソヴィエト会議を召集して、ソヴィエト政権の樹立を宣言した。同時に「平和についての布告」で即時平和、「土地についての布告」で社会主義国家建設を打ち出した。この政権をソヴィエト政権と呼ぶ。

ソヴィエト連邦の成立

 翌18年1月にボリシェヴィキ独裁権力が成立した。この新たに成立した政治権力は、従来の主権国家に見られる国民主権を議会・政府が代行するという国家とはまったく異なり、労働者と兵士の評議会である「ソヴィエト」を権力の根源としたソヴィエト共和国ともいわれる国家であった。ロシア帝国に代わる新たな国家として、18年7月に新たな憲法が制定されて、ロシア=ソヴィエト社会主義共和国連邦が成立した。さらに1922年12月にロシアを含む4つの社会主義共和国が結集してソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連邦)が成立する。
 ロシア帝国が滅亡した1917年から、1922年のソ連邦の成立までを便宜上、ソヴィエト政権またはソヴィエト=ロシア、ソヴィエト共和国などと言うが、便宜上、22年以前も含めてソ連(ソ連邦)ということもある。
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ノートの参照
第14章1節 オ.ロシア
第15章1節 エ.ロシア革命