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ドイツの国際連盟加盟

ドイツはロカルノ条約を締結したことにより、1926年にドイツの国際連盟加盟が実現した。

 第一次世界大戦の末期、アメリカ合衆国のウィルソンが提唱した国際連盟は、1919年のヴェルサイユ条約で設立が決まり、発足したが、敗戦国で会ったドイツ共和国は加盟が認められなかった。1923年のフランス軍、ベルギー軍による賠償問題を口実としたルール占領が強行され、ドイツは急激なインフレーションに陥った。その危機に首相となったシュトレーゼマンは、履行政策に切り替え、レンテンマルクを発行してインフレの進行を抑え、経済を立て直した。翌24年にはドーズ案が成立して賠償問題の解消に向かい、ドイツ経済もアメリカ資本の援助で回復の道筋がついた。外傷に転じたシュトレーゼマンは、1920年代後半に国際協調外交を展開し、1925年12月、西欧著国との集団安全保障であるロカルノ条約を調印してアルザス=ロレーヌの放棄を表明した。このようなドイツのヴァイマル共和国の安定を受けて、1926年9月に国際連盟加盟を実現、国際社会に復帰した。
(引用)1926年9月、ドイツはロカルノ条約締結の際に旧連合諸国との間に結ばれた諒解にもとづいて、国際連盟への加入が許され、加盟と共に常任理事国に選ばれて、国際連盟の重要な一員となった。旧連合諸国としては、ロカルノ条約に示されたドイツの和解的態度に鑑みて、ドイツのかねての希望を容れてその連盟参加を承認したのであった。従って、それはシュトレーゼマン履行政策の結実にほなならない。9月10日、外相シュトレーゼマンいかのドイツ代表団は国際連盟総会議場にはじめて姿を現わし、熱狂的歓呼をもって迎えられた。そして、シュトレーゼマンは演説して、国際平和へのドイツの協力の意志を披瀝し、これに対し、フランス外相ブリアンは“われわれはすべての武器を打ち砕き、両隣国間の平和を決定的に樹立しようと思う”と叫び、これらの演説は、満場沸きかえる喝采を浴びたのであった。・・・国際連盟は・・・ドイツの加盟をみることによって国際平和機構としての面を在来に比してより具えることになった。<岡義武『国際政治史』1955 再刊 2009 岩波現代文庫 p.208>
 → ドイツの国際連盟脱退
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ノートの参照
第15章2節 イ.国際協調と軍縮の進展
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岡義武
『国際政治史』1955
再刊 岩波現代文庫 2009