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賠償問題

第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約でドイツに課せられた多額の賠償金の支払い問題。

 ヴェルサイユ条約によって定められたドイツ共和国の賠償金(1921年に金額は1320億金マルクとされる)は、敗戦国ドイツにとって現実的に支払いできない重さであった。1923年1月にはフランスのポワンカレ右派内閣は賠償の不履行を理由にベルギーとともにドイツに出兵し、ルール占領を強行した。ドイツ側は憤激したが、不服従で抵抗するしかなかった。

フランスのルール占領

 工業地帯であるルール地方をフランスに押さえれたためドイツの生産力は激減し、急激な品不足、つまりインフレーションが進行した。そのような中でミュンヘン一揆のような右派のクーデタ計画があり、社会不安は深くなった。

賠償問題の解決

 ヴァイマル共和国(ドイツ共和国)のシュトレーゼマン内閣はレンテンマルクを発行してインフレーションを脱却する一方、賠償金の履行を約束し、アメリカの援助を求めた。アメリカもドイツがイギリス・フランスに賠償金を支払えなくなると、イギリス・フランスに対するアメリカの債権も放棄しなければならなくなる恐れがあったので、ドイツを救済する必要に迫られた。1924年のドーズ案、続いて出された1929年のヤング案によって賠償金の減額や支払期限の軽減がはかられた。 → アメリカの外交政策

世界恐慌への要因

 しかし、ドイツ賠償金問題はアメリカ資本が世界経済を支配する構造を作り上げてしまい、1929年アメリカに大恐慌がおきると、それがたちまちヨーロッパに広がり世界恐慌となる素地を作ってしまった。フーヴァー大統領はフーヴァー=モラトリアムを発表して賠償金の1年間支払い停止としたが、解決にならず、1932年ローザンヌ会議で賠償金は最終的に30億金マルクまで減額されたが、翌年成立したナチス・ヒトラー政権は賠償金支払いそのもを拒否し、ついに決定的な対立の段階にはいる。
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ノートの参照
第15章2節 ウ.西欧諸国の停滞