印刷 | 通常画面に戻る |

ジュネーヴ軍縮会議/ジュネーヴ海軍軍縮会議

1927年に開催された、海軍の補助艦艇の制限を目的とした会議。会議は決裂し、成果はなかった。

 第一次世界大戦後の一連の海軍軍縮に関する国際会議で、1922年のワシントン会議に次いで開催された二番目の会議。ワシントン会議で締結されたワシントン海軍軍備制限条約は主力艦艇である戦艦と航空母艦に関する制限であり、英・米5、日本3、仏伊1.75の比率することで合資され、残る補助艦(1万トン以下の巡洋艦など一般艦艇)に関する制限が懸案として残っていた。
 1920年代後半の国際協調機運が高まる中、アメリカのクーリッジ大統領が1927年6月に同じ5カ国の会議を招集したが、フランスとイタリアが参加を拒否し、アメリカ・イギリス・フランス三国の会議となった。日本からは斎藤実と石井菊次郎が代表として参加した。会議はイギリスは小艦艇の多数の保有を主張したためアメリカと対立し、合意に至らず8月に閉会した。結局、課題は次のロンドン海軍軍縮会議(1930年)に持ち越されることとなった。

二つのジュネーヴ軍縮会議に注意

 なお、1932~34年にもジュネーヴ軍縮会議が開催されているが、こちらは事情が違うので注意すること。1927年の会議は、特定の海軍所有国3カ国の海軍補助艦の制限に関する会議であるが、1932年に開催されたのは、国際連盟が主催した全般的な(陸軍も含む)軍備制限に関する会議であり、国際連盟加盟国の他、非加盟国であるアメリカとソ連、ドイツも招集され、64カ国が参加した大きな国際会議で会った。しかし、すでに世界恐慌が起こっており、各国は軍備拡張競争に突入してしまっていたため、会議は難航した。英仏はドイツの再軍備を警戒したが、ドイツは以前から、軍備平等権を主張していたため、溝は埋まらず、途中の1933年1月にドイツの権力を握ったヒトラーは、ついに同年10月、ジュネーブ軍縮会議と国際連盟からの脱退を宣言し、会議も空中分解してしまった。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第15章2節 イ.国際協調と軍縮の進展