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リーフ戦争

1920~26年、スペイン領の北モロッコ、リーフ地方で起こった反植民地戦争。アブデル=クリムに率いられ、一時はリーフ王国を建国した。

 19世紀のモロッコでは、スペインがすでにジブラルタルのモロッコ側にセウタを獲得していたが、1859~60年のモロッコ戦争によってティトゥアンを獲得し、モロッコ北岸に支配領域を拡大した。一方フランスもモロッコ侵出を行い、1912年にモロッコの保護国化を実現した。その年、フランスとスペインは協定を結び、北部のセウタとメリリャを含むリーフ地方、および西サハラをスペイン保護領とすることで合意した。このようなスペインとフランスの侵出に対する抵抗として北部モロッコのリーフ地方で起こったのがリーフ戦争である。

リーフ共和国の樹立

 指導者アブデル=クリム(アブド=アル=カーリム)は、リーフ地方の名望家であり、カーディー(裁判官)を務めた知識人でもあった。またスペインで学んだこともあって国際情勢にも明るかった。彼は部族の統合を図り、国際世論に訴えて1920年にスペインからの独立運動を開始、21年7月のアヌアルの戦いでは1万2千のスペイン軍が敗りシルベストレ将軍を殺害するという勝利を得た。彼はなおもスペイン軍を追いつめて、1923年にはタンジールを除く北モロッコを支配し、リーフ共和国を樹立した。さらにフランス領モロッコに侵攻を企て、モロッコ全域の民族解放闘争に転換させた。この植民地支配の危機に、スペインではプリモ=デ=リベラが軍部独裁政権を立て、フランスの将軍ペタンと共同戦線を組んで20万もの軍隊を派兵し反撃した。そのため、1926年にリーフ共和国は崩壊し、アブデル=クリムは捕らえられた。

指導者アブデル=クリム

(引用)モロッコ民族の最後の大きな抵抗を組織したアブデル=クリムについて一言。これはイスパニア領モロッコに属するリフ地方の村の出身で、第一次世界大戦中はドイツ側から武器と資金を受けた。一九一九年イスパニアのシルヴェストル将軍に面目を傷けられ、故郷に逃れて、イスパニア軍に対して復讐を企てた。二一年アナルを攻撃して奪取。・・・アナルの占領のためイスパニアのモロッコ駐屯軍一万九千人にはパニックが起こり、各地で敗れた。・・・これらの勝利のためアブデル=クリムの軍威は揚った。二三年この乱のためイスパニアにはプリモ=デ=リヴェラの非常独裁政府が出来た。二四年イスパニア軍は奥地を全部開放した。此間占領軍一万九千名のうち一万六千名が虐殺された。アブデル=クリムの声望は国境を越えて仏領モロッコに及び始めた。・・・アブデル=カリムはフェズを目指しはじめた。フランスはペタンを司令官にし、一六万の兵を派遣し、イスパニア側と協同の策戦を取ることにした。二六年五月、彼はフランスに降り、インド洋のサン・モリス島に幽閉された。フランス側は二一六二名の戦死者を出し、戦費二六〇〇万フランはモロッコが負担した。今次大戦(第二次大戦)が終った時彼はフランスで暮らすという条件で幽閉を解かれた。汽船がポートセッド(ポートサイド)に着いた時、エジプト王に招待されると、彼はそのまま船には帰らなかった。<山田吉彦『モロッコ』1951 岩波新書 p.43 著者の山田吉彦はきだ・みのるのもう一つの筆名。同書、p.160-135 には、リーフ戦争のフランス軍と反乱軍の戦いの状況が描かれている。>
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山田吉彦
『モロッコ』
1951 岩波新書