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フラン=ブロック/金ブロック

世界恐慌後にフランスを中心に構築された金本位制を維持している経済ブロック。1936年までにそれぞれ金本位制を離脱し、ブロックは解体した。

 1929年の世界恐慌に始まる世界同時不況から脱するために各国が協力しようという機運が生まれ、イギリスの提唱によって1933年6月12日からロンドン世界通貨経済会議が開催された。フランス、イタリアなどのいわゆる金ブロック諸国は、①金本位国は金本位を固守することを宣言する。②金本位離脱国(イギリス、アメリカ)は他日、金本位に復帰する意図のあることを宣言する、との趣旨の「為替共同宣言」を作成し、世界各国が歩調を合わせて金本位を維持することを提案した。しかしアメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルトは宣言に参加することを拒否し会議は決裂、7月27日に無期休会となってしまった。
 世界通貨経済会議の失敗は、フランスを中心とする金ブロック、イギリスを中心とするスターリング=ブロック、アメリカを中心とするドル=ブロックというブロック経済の形成を促進した。

金ブロックの解体

 金ブロック(フラン=ブロック)は金本位制を維持しているフランス、オランダ、ベルギー、スイスによって構成されていたが、他のブロックに比べて工業生産が不振で失業者が多く、経済的に最も重い問題を抱えていた。金ブロックに属するベルギーがまず1935年3月31日以降銀行券の金兌換を禁止し、ベルガの金平価を28%切り下げた。次いでオランダ=ギルダー、スイス=フランも為替投機に襲われたので、4月7日、金ブロック諸国の中央銀行総裁は国際決済銀行に参集し、あくまで金本位制維持を確認し、そのために協調することを決定した。
 しかし、金ブロックの中心のフランス=フラン自体に危機が迫っていた。ベルガ切り下げ後、金の流出が続いていたが、隣国ドイツが三月に再軍備を宣言していたのと、国内の労働運動、政情不安で、厳しいデフレ政策の推進を困難にしていた。翌1936年3月7日、ドイツ軍が非武装地帯ラインラントに進駐したので、ヨーロッパ諸国が緊張すると、再びフランス=フランに対する信認が揺らいだ。5月の総選挙で左翼政権であるブルムフランス人民戦線内閣が誕生したこともあって、資本の海外流出が激しくなった。
 1936年、9月26日、フランスはフランの金兌換を停止するとともに、フランの金平価を28%切り下げ、29日に金の輸出を禁止した。オランダ=ギルダーもスイス=フランも金平価を切り下げ、オランダは金輸出の禁止を、スイスは金との兌換停止を決定した。こうして金ブロックは1936年9月末までに解体した。<鯖田豊之『金(ゴールド)が語る20世紀』1999 中公新書 p.229-235>
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ノートの参照
第15章4節 イ.ニューディールとブロック経済
第15章4節 カ.ファシズム諸国の攻勢と枢軸の形成
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鯖田豊之
『金(ゴールド)が語る20世紀』
1999 中公新書