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仏ソ相互援助条約

1935年、ドイツの再軍備に危機感を持った仏とソ連の間で締結された。

 1935年5月、フランスとソ連との間で締結された条約。これはこの年3月にドイツが再軍備を宣言し、徴兵制を復活させたことに脅威を感じた両国が接近し、成立させたもの。ただし、国際連盟規約とロカルノ条約の条文と矛盾することを避けるため、軍事同盟ではなく、相互援助条約という形となった。フランスは形勢を見ながらだったので、批准は遅れ、ようやく翌年2月に批准発効した。

フランス人民戦線の形成に一役

 フランスをソ連との提携に踏み切らせたのはドイツに対する警戒心であったが、急進社会党のラヴァル外相がそれに踏み切ったことは、当時進んでいた社会党・共産党による人民戦線形成への動きに、急進社会党も参加する背景となった。急進社会党はブルジョワジーの中間派を基盤とした急進的共和主義の政党であり、社会主義とは相容れない立場にあったが、ソ連のスターリンが仏ソ相互援助条約の締結に応じ、フランスの対独防衛に理解を示したことは、ソ連を背後にもつ共産党との提携に踏み切ることを可能にした。さらに同年7月、コミンテルン第7回大会で人民戦線戦術への転換が図られたことを受け、フランス人民戦線が成立する。
 このフランスとソ連の接近に反発したヒトラーのドイツは、フランスのロカルノ条約違反と非難し、1936年3月、ドイツはロカルノ条約破棄を宣言し、直ちにラインラント進駐を行い、戦争の危機が一気に高まった。