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通貨改革

1948年、アメリカの主導するドイツの西側管理地区で通貨改革が行われたが、ソ連が反発しベルリンを封鎖、東西対立が深刻化した。

 第二次世界大戦後、米ソ両陣営の東西冷戦が明確になった時期に、1948年6月20日、ドイツの西側三国(アメリカ・イギリス・フランス)占領地域で新通貨ドイツマルクが発行され、同時に自由価格制がしかれるという通貨改革が行われた。当時ドイツ全域で流通していた旧通貨(ライヒスマルク)は戦時に膨張して価値が下落していたため経済の復興のためには新通貨の発行が不可欠と考えられていた。ポツダム宣言でも「ドイツを経済的に一体とみなす」とされていたが、西側はソ連が占領地域で土地改革を実施し、社会主義化を進めていることに不信感を持ち、西側占領地域だけの通貨改革に踏み切った。ドイツ・マルクは前年からアメリカで印刷され、暗号名「バード・ドッグ作戦」と呼ばれる輸送作戦で密かに西側地区に運ばれたものであった。この西側の措置はスターリン体制下のソ連を強く刺激し、両陣営の対立がエスカレートすることとなった。

ソ連、ベルリン封鎖

 ソ連占領地域内にあり4国共同管理下のベルリンでは、6月25日になって西側管理下のベルリン(西ベルリン)で新通貨の流通が始まった。ソ連はこの措置に対し、ドイツを分裂させる暴挙であり、ポツダム宣言違反であるとして抗議し、対抗措置としてベルリン閉鎖を実行した。
 実は、同時にソ連占領圏でも新通貨(オストマルク)の発行が行われたが、経済政策上は全く違っていた。西側地域では新通貨発行と同時に、それまでの経済統制をやめ、自由価格制にもどし市場経済を復活させた。このことが西側地域の経済活動を刺激し、「ドイツ経済の奇跡」を実現させた。東側では新通貨は発行されたが統制経済はそのままだったので経済活動は停滞した。<『世界各国史(旧版)ドイツ史』p.472 山川出版社>
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