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アデナウアー

第2次世界大戦後の西ドイツ首相。キリスト教民主同盟の指導者。冷戦時代の西ドイツ首相として、その経済復興を実現させた。

 戦後西ドイツの首相(在任1949~63年)として、その「奇跡の経済復興」を指導した政治家として重要な存在である。
 戦前にはケルン市長を務めたがナチスには反対し度々投獄された。第二次世界大戦後の1945年にキリスト教民主同盟を結成し、ドイツが東西に分離独立してドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立すると、その初代首相に選出された。しかし、わずか1票差で選出あり、政権はキリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟連合と自由民主党など小政党の連立内閣であった。

西ドイツの奇跡の復興を実現

 しかしアデナウアーは、アメリカのマーシャル=プランなどの経済援助によってドイツ経済を復興させ、さらにNATO加盟とともに再軍備を認めさせるなど、50年代の冷戦時代のドイツをリードして奇跡の経済復興を実現した。
 彼は一貫して東ドイツを国家として認めず、対話を拒み、西側の一員として西ドイツを繁栄させることを最優先した。その政策は統一に冷淡であると次第に人気を失い、1963年のド=ゴールのフランスと間で独仏友好条約を成立させたのを花道にして引退した。

Episode 70歳で首相となった「奇跡の老人」

 コンラッド=アデナウアーが西ドイツの首相に就任したのは、70歳をすぎていた。
(引用)アデナウアーはたいていの政治家が引退する年齢になってようやく政治を始めた。まさに奇跡の老人であった。・・・アデナウアーの人生を見ると、70になるまで、どんなに好意的に見ても人並み外れた優れたものを見いだすことはできない。それがなぜ年老いてから“神老”になったのか。・・・1946年、70になった彼は決意を固めた。それと同時にこれまでたまりにたまったエネルギーがいっきに爆発した。決断力、指導力、忍耐力、目的意識、確固たる自信があふれ出て、3年の間にいっきに頂点に上りつめ(すなわちドイツ連邦首相の地位に就き)、14年ものあいだトップに君臨しつづけたのある。<セバスチャン・ハフナー/瀬野文教訳『ドイツ現代史の正しい見方』2006 草思社 p.204,205>
 アデナウアーが70歳で首相になったのは、それより若い世代の多くが戦争で亡くなり、ナチスだったために排除され、そして若者の多くが疲れ果てていたからだった。「老人が頑張らなければならなかった。なぜならドイツの政界は、砂漠と化した森のように、すっかり人材が枯渇してしまったからである。当時の40代、50代のいわゆるナチス世代は、ボロボロに潰され、威信を失墜していた。30代の若者は戦没兵士の墓地に横たわるか、捕虜収容所でうずくまっていた。」<ハフナー・同書 p.207>そのために70歳の老人が日の当たる場所に立つことになったのだが、彼は賛成派、反対派双方の期待を上回る老人パワーを発揮したのだった。
(引用)まさかドイツ連邦共和国(西ドイツ)が、1949年の発足後わずか5,6年のうちに、戦勝国とほぼ対等の同盟国にまでのしあがり、賠償や解体の問題にけりをつけ、再軍備まで許され、いや許されるどころか再軍備を強要されまでになるとは、誰一人予想していなかったろう。そしれこれもまた忘れてならないことだが、まさか議会制民主主義が、1919年のときと違って、今回は戦後ドイツで根を張り、一般市民に受け入れられ、立派に機能するようになるとは、いったい誰が予想できたであろうか。こうした内政・外交両面の成功は、まさにアデナウアーがもたらした成功であり、これについてややこしい解釈は無用である。<ハフナー・同書 p.211-212>
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第16章1節 イ.ヨーロッパの東・西分断
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セバスチャン・ハフナー/瀬野文教訳
『ドイツ現代史の正しい見方』
2006 草思社