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金日成

抗日パルチザンを指導して名声を上げ、1948年、北朝鮮に成立した朝鮮民主主義人民共和国の初代首相となる。朝鮮統一を目指し朝鮮戦争を起こすも停戦に追い込まれる。主体思想を理念とし、個人崇拝と軍事国家化を進め、権力世襲の基盤を作った。

 キム=イルソン。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の建国時からの指導者。満州・朝鮮の国境地帯で、朝鮮人民革命軍を率い、抗日武装闘争(抗日パルチザン)の英雄とされる。1946年8月に朝鮮労働党に加わり、48年の建国のときに首相となる。

朝鮮戦争

 1950年には南北統一をめざして南に侵攻、朝鮮戦争を起こした。中国人民義勇軍の参戦を得て、アメリカ軍主体の国連軍と戦ったが、53年に停戦し、同国は半島の北半分を支配するだけとなった。戦争後は反対派(親ソ派、親中国派)を排除しながら労働党内の独裁的な地位を固め、独自の理念として主体(チュチェ)思想を掲げた。ソ連、中国とも一線を画し、72年からは国家主席として個人崇拝を強いて権力を維持した。74年には息子の金正日を後継者に指定、94年に死去した。

Episode 金日成はどこにいたか

 金日成は1912年に平壌郊外の万峰台で生まれ、幼い頃満州に移住し、1930年代に満州で抗日パルチザンを指導したとされるが、その詳細は不明な点が多い。日本敗北直後はソ連のハバロフスク郊外でソ連軍の軍務に付き、息子の金正日にはユーラというロシア名を付けていたという証言もある。<下斗米伸夫『アジア冷戦史』2002 中公新書 p.73-74>

金日成の先祖の顕彰

 1970年代後半から80年代に金日成から金正日への父子間での権力委譲を合理化するため、この一家の先祖の顕彰が盛んに行われるようになった。たとえば、1866年にアメリカの商船シャーマン号が通商を求めて大同江に侵入したシャーマン号事件のとき「決起した人民の先頭には、敬愛する首領キム=イルソン主席の曾祖父である金膺禹(キムウンウ)先生が立っていた」(76年刊行の朝鮮大学校の教科書『朝鮮史』)とされた。しかしシャーマン号焼き討ち事件で人民の先頭に立って戦った人物は朴春権をはじめ何人かは知られていたが、金膺禹という人物はそれまで全く知られていなかった。また、1919年の三・一独立運動を指導したのは「金日成主席の尊父で不撓不屈の反日革命闘士であり、朝鮮民族解放運動の卓越した指導者である金亨稷(キムヒョンジク)先生」(同書)とされ、さらに金日成の母方の祖父や伯父の名さえ出てくるが、三・一運動のジャンヌ=ダルクといわれる柳寬順などよく知られた三十三人の民族指導者は無視されている。このような歴史の改ざんをするところに、『オンドル夜話』の著者尹学準氏は「朝鮮社会のヤンバン志向=血統重視の“伝統”」の反映を見、『両班』の著者宮嶋博史氏は「その発想法は韓国における有力な同族集団の祖先顕彰と同じものであり、儒教的な祖先崇拝の観念が認められる」と一致した観測をしている。朝鮮の儒教両班の「伝統」は北朝鮮でも脈々と続いているということであろうか。<尹学準『オンドル夜話―現代両班考』1985 中公新書 p.222-224/宮嶋博史『両班』1995 中公新書 p.9>
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ノートの参照
第16章1節 ウ.東アジア・東南アジアの解放と分断
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下斗米伸夫
『アジア冷戦史』
2002 中公新書