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南べトナム解放民族戦線/ベトコン

1960年、南ベトナムで結成された反米民族統一戦線。アメリカ側はベトコンと呼んだ。

 ベトナム共和国統治下の南ベトナムで、1960年12月20日、反アメリカと反ゴ=ディン=ディエム政権を掲げて民族統一戦線が結成された。カンボジア国境沿いのタイニン省のある村に集まったメンバーは、党員以外にも労働組合、農民同盟、青年同盟、学生などであった。議長はグェン=フー=ト。組織としてはベトナム労働党南部中央局の指導を受ける、幅広い統一戦線であった。1年間に組織を拡大させ、以後、ベトナム戦争での抗米救国の中心としてゲリラ戦を展開し、アメリカ側から「ベトコン」(ベトナム人の共産主義者)と言われて恐れられた。
 解放戦線は、ナパーム弾、高速ヘリ、枯葉剤などを用いたアメリカ軍の攻撃に対し、南ベトナムのジャングルでゲリラ戦で抵抗、容易に屈しなかった。大量の兵員と物資を投入したアメリカ軍は解放戦線を制圧することができず、犠牲も増大していった。解放戦線側は、隣国カンボジアを通るいわゆるホー=チ=ミンルートによって北ベトナムから武器や食糧の補給を受け、有利なゲリラ戦を展開した。
 アメリカ首脳もベトナム戦争の収束を検討し始め、1968年からパリ和平会談が始まった。有利な講和条件を得るため、ニクソンは解放戦線支援ルートを断つために70年にカンボジアに侵攻、さらに翌年にはラオスを空爆した。しかし、カンボジア、ラオスでも民衆的抵抗は根強く、アメリカ軍は作戦に失敗した。
 1973年にパリ和平協定が成立し、3月にアメリカ軍が撤退すると、解放戦線と南ベトナム政府軍との内戦となり、75年4月、解放戦線軍はホー=チ=ミン作戦と称し、ついにサイゴンを陥落させ、ベトナム戦争に勝利した。
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ノートの参照
第16章3節 エ.ベトナム戦争とインドシナ半島