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パリ和平会談

ベトナム戦争の和平のために1967年から始まった会談。1973年に和平協定を成立させた。

 1967年5月から、パリで始まったベトナム戦争の和平会議。3月のアメリカのジョンソン大統領が出した北爆停止声明を受けて開始された。現地では戦争は続けられていたが、週1回の割合で会談が続けられた。1969年1月からはベトナム民主共和国(北ベトナム)、アメリカに加え、南べトナム解放民族戦線(ベトコン)ベトナム共和国(南ベトナム)それぞれの代表も参加する拡大会議となった。この間、1968年の解放戦線によるテト攻勢が行われ、米軍・南ベトナム軍は次第に押されていった。それに比例して国内のベトナム反戦運動が激しくなったが和平交渉は進展しなかった。
 1970年にはニクソン政権は交渉を有利に進めようとしてカンボジア侵攻を行い、さらに翌年にはラオス空爆を行って戦線を拡大した。しかし、ベトナムだけではなくカンボジア、ラオスでもゲリラによる頑強な抵抗に遭い、軍事的成果を上げることができず、かえって国内外の反戦運動を活発にすることとなった。
 そのような中、ようやくベトナム戦争の停戦、アメリカ軍の撤退、南ベトナムの政治的対立の解決、捕虜の相互解放などで合意に達し、1973年1月27日に、べトナム和平協定(パリ和平協定)が成立した。これによってアメリカ軍はベトナムから撤退したが、南ベトナム政権のあり方には合意がなかったため、政府軍と解放戦線の内戦はなおも続き、75年にサイゴンが陥落して南ベトナム政府が崩壊し、ようやく戦争が終結する。
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ノートの参照
第16章3節 エ.ベトナム戦争とインドシナ半島