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アメリカ軍のべトナム撤退

1973年3月、ベトナム和平協定にもとづきアメリカ軍はベトナムを撤退した。

 ベトナム戦争は、1968年の南ベトナム解放民族戦線によるテト攻勢から形勢が逆転してアメリカ軍が苦境に陥り、アメリカのニクソン政権は収束を図り、1972年2月にはニクソン訪中、続いてソ連も訪問して大国間の調整を図りつつ、有利な停戦を狙ってカンボジア侵攻さらにラオス空爆を行い、帰って戦線を拡大し、混迷を深めることとなった。これによってアメリカは軍事費の増大から経済悪化に苦しむようになり、71年にはドル危機に見舞われてドル=ショックといわれるドルの金兌換停止に踏み切った。国内のベトナム反戦運動も高揚したため、アメリカ政府はベトナム戦争の継続が困難になった。
 1967年から断続的に続けられていたパリ和平会談で、ようやく妥協に動き、1873年にべトナム和平協定(パリ和平協定)を成立させ、アメリカ軍は軍事活動を停止し、同年3月、ニクソン大統領の最終判断で、南ベトナム駐留のアメリカ軍が撤退した。
 なお、その後もベトナム政府軍と南ベトナム解放民族戦線(および北ベトナム軍)との内戦は継続さているが、アメリカ軍の支援を失った南ベトナム政府軍は急速に弱体化し、1975年に南べトナム解放民族戦線によるサイゴン陥落によって終結する。
(引用)一九七三年三月二十九日、南ヴェトナム駐留の米軍が撤退を完了した。一九五〇年八月二十日、フランスがヴェトミンの掃討に手を焼いていたころ、米国がサイゴンに軍事援助顧問団を送り、南ヴェトナム政府軍の養成にあたってから二十二年余りの歳月がたっていた。ニクソンの「名誉ある撤退」は実現した。しかし、米国人にとっては、肉体的にも、精神的にも、非常に深い傷を負った介入の歴史だった。大きな犠牲をはらってまで、なんのために、なぜ、ヴェトナムに介入したのか。ヴェトナムでは、何も解決していなかった。<小倉貞男『ドキュメント・ヴェトナム戦争』岩波書店 1991>
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ノートの参照
第16章3節 エ.ベトナム戦争とインドシナ半島