印刷 | 通常画面に戻る |

サイゴン陥落

1975年、南ベトナム解放民族戦線が南ベトナムの首都サイゴンを占領、南ベトナム政府が崩壊し、北ベトナムによるベトナム統一が完成した。

 1975年3月、南べトナム解放民族戦線は一斉に南ベトナム政府軍基地に攻勢を仕掛けた。すでにアメリカのフォード大統領はベトナムに再介入せず、と声明を出していた。解放戦線は、旧王都のフエ、中部の都市ダナンを制圧し、最後に4月26日、首都サイゴンへの攻勢である「ホー=チ=ミン作戦」を展開した。アメリカ大使館は、大使以下が海兵隊のヘリコプターで脱出した。1975年4月30日、戦闘は終わり、南ベトナム政府は崩壊、ベトナムが統一され、平和が実現した。1945年のインドシナ戦争から数えれば30年、ベトナム戦争が1965年のアメリカ軍の北爆から始まったとすれば10年にしてようやく戦争が終わった。
 サイゴン陥落後、サイゴンはホーチミン市と改称し、翌1976年6月24日ベトナム社会主義共和国が成立した。統一ベトナムは首都はハノイとされたが、ホーチミン市は最大の都市として、同国の経済の中心都市となった。

1975年 ベトナム戦争の終結の年

 1975年4月30日にサイゴンが陥落しベトナム戦争が終結した。隣国カンボジアではそれより前の4月17日、親米ロン=ノル政権が倒され、ポル=ポト政権が成立した。しかし、まもなくベトナム・カンボジア関係は悪化し、77年から戦争状態となり、79年にはベトナム軍がカンボジアに侵攻してポル=ポト政権を倒し、カンボジア内戦が再び泥沼化する。
 中国では文化大革命が継続されていたが、1971年の国連復帰、72年のキッシンジャー訪中以来、収束の方向に向かっていた。1975年11月には第1回先進国首脳会議(サミット)が開催され、西側諸国のアメリカ単独指導という状況は終わりを告げた。ソ連はブレジネフ体制の硬直化が続いている。なおこの年、スペインのフランコと中華民国の蔣介石という、東西の特異な独裁的指導者が相次いで死去している。(ポルトガルでは前年に民主化が行われている。)
印 刷
印刷画面へ