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ヘルシンキ宣言

1975年8月に調印された全欧安全保障協力会議(CSCE)の最終文書。東欧社会主義圏の変革へのインパクトとなった。

 1975年7月30日から、フィンランドの首都、ヘルシンキにおいて開催された全欧安全保障協力会議(CSCE)においてまとめられ、1975年8月1日に発表された最終文書をヘルシンキ宣言という。
 ヘルシンキ宣言は大きく三つの部分 ( バスケット )に分けられている。
第一バスケット 国際関係の行動10原則と信頼醸成措置についての取り決め。
第二バスケット 経済、科学技術、環境の領域での協力についての取り決め。
第三バスケット 人間的な緩和措置と情報交換についての取り決め。

ヘルシンキ宣言の意義

 なかでも第三バスケットの「人権はもはや国家の内政事項ではない」という規定は、国家を超えた人権の絶対的な重要性が国際法的に認められたことを意味し、またその人間的な緩和措置と情報交換のとり決めは、ソ達・東欧諸国に予想以上のインパクトを与え、東側は武力による人権抑圧が出来なくなり、ソ連・東欧社会主義体制の崩壊に一定の役割を果たし、1989年の東欧革命への原動力ともなった。

全欧安全保障協力機構(OSCE)

 冷戦終結後の1990年代に入り、ソ連の崩壊、ユーゴスラヴィアの解体という激変が起こった。ヨーロッパが新たな戦争の危機に直面し、ボスニアやコソヴォ紛争が相次いだ。そのなかで、ヘルシンキ宣言の第一バスケットで謳われた”信頼醸成措置”の重要性が強く認識されるようになり、1995年に全欧安全保障協力会議(CSCE)は常設の機関に改組され、全欧安全保障協力機構(OSCE)が発足した。しかし2014年にロシア・ウクライナ間の対立から始まったウクライナ紛争では、十分その役割を果たすことは出来ていない。  
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