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フィン人/フィンランド

フィン人はアジア系ウラル語族に属し、バルト海沿岸に定住、長くスウェーデンの支配を受け、19世紀からはロシア領となる。ロシア革命を機に1917年に共和国として独立したが、第二次大戦では枢軸国としてソ連と闘うこととなり、戦後も苦難の道が続いた。


フィンランド(1) 近隣諸国による支配

12世紀以来、スウェーデン、ロシアの圧力を受け続ける。

 フィンランドは北欧諸国の一つで、国土の三分の一が北極圏に属する、森林と湖の国。民族のフィン人は、アジア系と言われるが、スウェーデンの支配やロシアの支配を受けた結果、現在では他の北欧の人々と区別はつかない。

スウェーデンの支配

 長くフィン人の独自の社会が続いたが、1155年からスウェーデン王による「十字軍」が始まり、キリスト教化すると共に、スウェーデンの支配を受けることとなった。13~14世紀にはロシア国家の北上とともにギリシア正教の布教が始まり、しばらく両者の抗争がくり返され、フィンランドの北部がカトリック、南部がギリシア正教とに分かれる形となった。
 スウェーデンがカルマル同盟に属することになるとロシアの圧力が強まったが、1523年にスウェーデンが独立しバーサ王朝がはじまるとともにふたたびスウェーデン支配が強まりロシアの勢力は駆逐されると共に、スウェーデンと同じくプロテスタントが浸透していくことになった。
 バルト帝国と言われた17世紀の全盛期のスウェーデンによる支配が続く中、スウェーデン女王クリスチーナは1640年トゥルクに大学を設けるなど、フィンランドの文化の向上に努めた。しかし、一方でスウェーデンがくり返した三十年戦争やデンマークとの戦争にフィンランドからも兵士を挑発され、その負担は大きかった。
 18世紀に入り、北方戦争でスウェーデンがロシアに敗れたため、1721年のニースタット条約で東部カレリアおよび南東部はロシア領に割譲された。このころからフィンランドの民族的自覚が始まり、反スウェーデンの動きが強まった。

ロシアの支配

 ナポレオン戦争が始まると、ナポレオンは大陸封鎖令への参加の代償としてロシアのフィランド領有を認めた結果、ロシア軍がフィランドに侵攻し、スウェーデンもそれを支えられず1809年にフィンランドをロシア領とすることに同意した。ロシアのアレクサンドル1世はフィンランドの自治を認めると発言し、フィンランド人に期待を持たせたが、ニコライ1世はロシア化政策を押しつけ、フィンランド語による出版を禁止したり、クリミア戦争での徴兵を強行した。アレクサンドル2世はふたたびフィンランドの自治を大幅に認める転換を行い、この間、フィンランドはパルプやタール産業、造船業などの工業化が進んだ。次のニコライ2世はふたたび強圧策に戻ったため、総督がフィンランド青年に暗殺される事件などが起こった。日露戦争では、日本の工作員明石大佐がヘルシンキなどで対露工作を行った。

フィンランド(2) 独立と苦難

1917年、ロシア革命でロシア帝国が滅亡したことを受け、12月に独立を宣言した。革命派と反革命派の激しい内戦があったが、1919年に共和国憲法を制定した。第二次世界大戦勃発とともにソ連軍の侵攻を受け、ナチスドイツに保護を求めたため、枢軸側に立たされた。

独立宣言と内戦

 フィンランドは1804年にロシアが事実上占領、ロシア領となった。その間、ロシアは自治を認める一方、たびたび強圧的な統治を行い、フィンランドの民族意識も次第に高まっていた。1917年3月、ロシアで二月革命(三月革命)が勃発してロシア帝国が倒れ、11月には十月革命(十一月革命)ソヴィエト=ロシアが成立した。フィンランドの自治議会は、12月に独立宣言を出し、ソヴィエト=ロシアのレーニンらボリシェヴィキ政権は直ちにフィンランドを承認した。こうしてフィンランドの独立は達成できた。
 しかしフィンランド国内では独立派とロシア革命に倣った社会主義革命を目ざす革命派が対立し、白衛軍と赤衛軍と称して内戦が開始された。白衛軍はドイツとスウェーデンが支援、赤衛軍はソヴィエト=ロシア軍が支援して激しい内戦が続き、1920年6月にようやく停戦した。その間、1919年7月、フィンランド議会は新憲法を制定、共和国として発足した。第一次世界大戦後もソ連の脅威が続いたが、1932年にはソ連との不可侵条約が締結された。

ソ連=フィンランド戦争

 しかし、第二次世界大戦が始まると、ソ連ポーランド侵攻につつ続いて、1939年11月30日、フィンランドに対して侵入。「冬戦争」とも言われるソ連=フィンランド戦争が始まった。フィンランドは粘り強く抵抗したが、40年3月、カレリア地方の割譲などを認めて講和した。その後フィンランドは、ソ連の圧力に備えて、ナチス=ドイツに接近、41年6月、独ソ戦が開始されると、同調してソ連に侵攻した。しかしソ連軍に反撃され、44年、ドイツとの協力関係を解消することと領土割譲、賠償金を条件に講和した。これを「継続戦争」ともいう。この二度にわたるソ連との戦争でフィンランドは多くの犠牲を出し、国力を消耗、しかもドイツに協力したため枢軸国側に立って敗戦国としての立場に立たされることとなった。

フィンランド(3) フィンランドの現在

第二次世界大戦で敗戦国という困難な立場にたたされたが、ソ連との関係に配慮しながら中立外交を展開。1975年のヘルシンキ宣言など、欧州の安全保障に重要な役割を担った。EUには加盟したがNATOには加わっていない。

フィンランド国旗
 フィンランド北欧諸国の一つ。もとはフィン人の国。面積は日本よりやや少なく、人口は約500万。首都はヘルシンキ。国土は3分の1が北極圏に属し、「森と湖の国」として知られる。国語はフィンランド語、宗教はプロテスタントのルター派が国教。一部にスウェーデン語を話す人々やギリシア正教系のフィンランド正教の信者もいる。

フィンランドの文化

 19世紀前半、フィンランドの民族意識が高まる中で、レーンロートという医師がカレリア地方の口承詩歌を採集し、『カレワラ』として出版した。カレワラはカンテーレという弦楽器を弾きながら歌うもので、民族的な英雄物語であった。長いロシアとの戦いの中で歌い継がれ、ソ連=フィンランド戦争のときも戦場で兵士が口ずさんでいたという。また20世紀初頭のシベリウスが作曲した愛国的交響詩『フィンランディア』は、ロシア当局によって演奏禁止とされた。<武田龍夫『物語北欧の歴史』1993 中公新書 p.156,162>

戦後のフィンランド

 第二次世界大戦の敗戦後、フィンランドは連合国軍管理委員会(実体はソ連軍)の監視と干渉のもと、1947年にパリ講和条約を締結した。またマーシャル=プランの受け入れも認められなかったにもかかわらず、過酷な賠償を独力で完済し、ソ連とは友好協力相互援助条約を結びながら、パーシキビとケッコネンの二代の大統領の下で積極的中立外交を開始し、1955年には国際連合に加盟した。
 国内では左右両派の対立が続き、冷戦の中で常に微妙な立場にあったが、積極的中立外交は一定の成果を見せ、1975年の全欧安全保障会議(CSCE)はヘルシンキで開催され、ヘルシンキ宣言が出されるなどの成果を見た。1995年にはEUに加盟、さらに共通通貨も導入した。しかし、ロシアと隣接するというその宿命的な位置関係から、軍事機構であるNATOには現在も加盟していない。