印刷 | 通常画面に戻る |

サハロフ

ソ連の原子物理学者で平和活動家。1975年にノーベル平和賞を受賞。しかしブレジネフ政権下で反体制知識人として逮捕され、自由を制限される。

 物理学者としてソ連の核実験にかかわり、水素爆弾の開発を推進して、「ソ連水爆の父」と言われるようになった。しかし、核兵器の非人道的正確を強く認識し、後に反核運動に転じ、ソ連政府の核開発や外交政策を批判するようになった。70年代のデタント時代には平和活動を評価され、1975年にノーベル平和賞を受賞した。
 しかし80年代前半はソ連のアメリカにレーガン政権が登場して対決色が強まり、再び冷戦の緊張が戻っって新冷戦の時期になると、ソ連当局の反政府言論に対する取り締まりが強化され、サハロフらは反体制知識人として取り締まりの対象となった。1980年には政府のアフガニスタン侵攻を批判して逮捕され、裁判もなくゴーリキー市(現ニジニ=ノブゴロド市))に国内追放されて自由を奪われ監禁生活を送らざるを得なかった。
 ゴルバチョフ政権でペレストロイカが始まったことにより、1986年に解放され、人民代議員大会の議員に選出されるとソ連憲法の「共産党の指導的役割」の削除を求めて論陣を張り、ソ連解体前の1989年に急死した。
印 刷
印刷画面へ