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レーガン


レーガン大統領

アメリカ合衆国第40代大統領。1980年代、強いアメリカ、小さな政府をめざし、ソ連に対しても強硬姿勢をとり、新冷戦といわれた。

 ロナルド=レーガン Ronald Reagan はアメリカ合衆国の1980年代の大統領。在任1981~89年。共和党。1980年の大統領選挙で民主党カーターの再選を阻止して当選した。映画俳優であったレーガン(映画俳優時代は日本では「リーガン」と言われていた)は、西部劇の二流スターに過ぎなかったがハリウッドの俳優労働組合の委員長を経験するうち、反共産主義の急先鋒となっていった。1960年代に民主党から共和党に転じ、保守派の中心人物となってカリフォルニア州知事を経てその派手なパフォーマンスによって国民の耳目を集めた。大統領となったのは69歳でそれまでの大統領で最高齢(これは2017年1月就任予定のトランプ=70歳に破られる予定)、そして離婚経験(女優ジェーン=ワイマンと離婚。彼女はアカデミー主演女優賞も獲得した有名女優だった)のある最初の大統領となった。

「強いアメリカ」への回帰

 レーガンは「強いアメリカ」の再現を掲げ、ソ連との軍事的対決に備えて「戦略防衛構想」(SDI)を打ち上げ、軍事費増大は「小さい政府」による福祉支出削減などによって生み出すという政権構想であった。その政策は、外交・イデオロギー面では、70年代の緊張緩和の反動として台頭してきた新保守主義(ネオ=コンサバティヴ、略してネオコンという)と、経済政策では新自由主義(ケインズ的な「大きな政府」を批判して、徹底して市場原理に依拠し、通貨供給で景気をコントロールしようという経済思想)をバックボーンとしていた。その姿勢は、次期大統領ブッシュ(G.H.W)=父及びブッシュ(G.W.)=子に継承される。

経済政策

 具体的経済政策としては「サプライサイド」(供給側)経済を唱え、減税による景気浮揚をはかった。支出の削減では社会福祉関係の予算を大幅に削減した。減税は企業や富裕層には有利であり、社会福祉予算削減は低所得者層に犠牲を強いることとなった。このようなレーガンの経済政策は「レーガノミクス」と言われた。しかし国防費は削減されず、財政赤字は解消されなかった。また、輸出も伸びず、85年には1914年から続いた債権国の地位から債務国に転落し、貿易収支も赤字に転じ、財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」に悩むこととなり、先進5ヵ国によるプラザ合意によってドル安に是正されて救済された。内政面では右よりの政策が目立ち、男女平等や人工中絶には反対の姿勢を見せ、最高裁判事には保守派を任命した。

レーガンの外交

 外交政策ではソ連を「悪の帝国」とよびSDIを推進し「新冷戦」をもたらしたが、85年にソ連にゴルバチョフが出現し、ペレストロイカが始まると姿勢を変えて対話路線に転換し、87年には中距離核戦力(INF)全廃条約に調印した。
 しかし、一方で前任のカーター外交を軟弱と批判し、「強いアメリカ」の復活を訴えて当選したため、伝統的なカリブ海政策を復活させ、親米政権に対する左派ゲリラの活動が強まったニカラグアエルサルバドルに介入した。また、83年にはグレナダ侵攻を行った。特にニカラグァの親米勢力(コントラ)への武器支援を続け、その過程でイランに秘密に武器を売却し、それで得た資金をコントラに横流ししたのではないか、という「イラン・コントラ事件」が起こり、大統領の関与も疑われたが、その証拠は出なかった。 → アメリカの外交政策

Episode もっとも話題の多い大統領

 彼は日本でもよく知られた映画俳優であった。俳優としてはローガンと書かれていたが、二流どころの西部劇スターにとどまっていた。政界に打って出てカリフォルニア州知事となり、大統領となったときはすでに69歳、ケネディが生きていてもそれより年長で、アメリカ史上最高齢の大統領であった。しかし老人らしからぬ手慣れたパフォーマンスは人気を呼んだ。日本の中曽根首相とは政治信条に近いものがあったらしく、「ロンとヤス」と呼び合う仲だったという。また退任後、アルツハイマー症にかかったことを明らかにしたことでも話題となった。2004年6月、93歳で死去、大統領経験者としては最高齢であった。
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ノートの参照
第17章1節 イ.先進経済地域の統合化