旧石器時代
打製石器を使用し、狩猟・採集を生業としていた人類最初の文化段階。約250万年前に始まり、およそ1万年前までに農耕牧畜を行う新石器時代に移行した。
打製石器と狩猟・採集の時代
旧石器時代(パレオリシック Palaeolithic)は、人類が打製石器を中心とした道具を使い、狩猟・採集を生業とし、まだ土器・磨製石器・金属器を知らなかった段階。人類が、道具として最初の簡単な礫石器を使用するようになったのはアウストラロピテクス(猿人)の段階からで、現在では約250万年前のエチオピアとされている。その後、握斧、剥片石器、石刃技法などの精巧な打製石器を作るようになり、狩猟生活の向上をもたらした。やがて約1万3千年から約1万年前頃までの間に、人類は磨製石器や土器などを作り、農耕・牧畜を行うようになり新石器時代に移行した。この時間の長さを考えれば、人類の歴史のほとんどすべてが旧石器時代に属していたことが分かる。旧石器の発見
ひとびとが旧石器時代を意識するようになったのは、1838年北フランスでブーシェ=ド=ペルトという人(専門の考古学者ではなく税関の役人であった)が洪積世の地層から絶滅種の動物化石と一緒に石器を発見したことに始まる(洪積世に人類が生存したという彼の説は当時は受け入れられず、彼は財産をなげうって研究を自費出版したが学会はそれを無視した。ようやく15年後の1853年にイギリスの学会で認められた。)。<伊藤嘉昭『人間の起源』紀伊国屋新書>旧石器時代の命名
イギリス人ジョン=ラボックがド=ペルトの発見した文化が磨製石器と土器を伴わないことからそれまでの「石器時代」の概念を二つに分け、「旧石器時代」と名付けた。現在では世界各地でその遺跡、遺物、化石人骨が見つかっており、研究が進んでいる。日本の旧石器文化
日本での旧石器文化の発見も同じような経緯があった。1949年相沢忠洋という戦争から復員してきた青年が群馬県岩宿の洪積世の地層から黒曜石の石器を発見した。それまで日本には旧石器文化は存在しないとされていたが、この素人の青年による岩宿遺跡の発見をきっかけに、その後各地で旧石器遺跡がみつかった。しかし、その後も長い間、この文化は「プレ縄文文化」とか「先土器文化」「無土器時代」などといわれ、旧石器時代という断定は避けられてきたが、現在では日本列島上にも旧石器文化が存在したことは広く認められ、日本史の教科書でも「日本の旧石器時代」として説明されている。しかし、それがいつごろまで遡るかについては2000年に旧石器偽造事件が発覚したこともあって、再検討が迫られている(下のEpisode参照)。Episode ピルトダウン人
イギリスでも20世紀に、ピルトダウンでサルとヒトの中間の化石人骨が発見され、学会ははじめそれを信じ、人類学の大発見とされた。ところが、後になってその化石は偽造された物であることが判明、学会が大騒ぎになるという事件が起きている。Episode 日本の旧石器偽造事件
日本では、1980から90年代にかけて東北地方を中心に、前期旧石器時代の北京原人と同じ時期の遺跡だ、というのをやはり独力で考古学を学んだ人物が次々に発見してマスコミも取り上げ、日本の旧石器文化はその前期までさかのぼるとされるようになり、日本史の教科書に載るまでになった。つぎつぎと旧石器遺跡を発見した考古学者は、「神の手」と言われ、大新聞の一面トップで報じられるような発掘を連発した。ところが2000年、それがまったくの偽物で、実は発掘前に密かに石器を埋めておいたものであったことが、毎日新聞のスクープで発覚し、大騒ぎになった。その学者(?)もねつ造を認め、彼が発見したという遺跡はいずれも国指定をはずされ、教科書から削除された。こうして日本の前期旧石器文化の研究は振り出しに戻ってしまった。<『発掘捏造』毎日新聞旧石器遺跡取材班>