肥沃な三日月地帯
メソポタミアからパレスチナにおよぶ農耕文明の発生地域。前7000年紀に、人類最初の農耕牧畜が始まったと考えられている。
農耕文明の形成
メソポタミア-シリア-パレスチナを結ぶ三日月形をした地帯は、最も早く農耕文明が成立した地域であった。北部の山岳地帯と、南部の砂漠地帯に挟まれ、オリエント文明の中心となっている。その西側で地中海に面した地方はレヴァント地方と言われ、文明形成後はレヴァント貿易(東方貿易)がさかんに行われる地域となる。その東側はメソポタミア文明を生み出しこととなる。気候が温暖で、土壌の養分も多く、野生のムギ類が自生し、山羊などの草食動物が豊富であり、そのような地域で前7000年紀に、人類最初の農耕・牧畜が始まったと考えられている。 → 新石器革命この表現の始まり
「肥沃な三日月地帯」という言葉は、20世紀初頭にアメリカのエジプト学者ヘンリー・ブレステッドが刊行した『エジプトの古代記録』という書物で初めて使われた。この地帯は、砂漠や乾燥したステップ地帯に囲まれてはいるが、気候は比較的湿潤で、多様な植物の生育に適している。印象的な命名であったためか、広く取り上げられるようになり、その後の発掘調査でも多くの農耕遺跡がこの地域から見つかって、文明の揺籃の地とされるようになった。しかし現在では、この地帯はイスラエルとパレスチナの紛争、シリアの内戦、イランとイラクの戦争、そしてクルド人問題など、世界で最も深刻な対立の地となっている。