アトン神
前14世紀、エジプト新王国アメンホテプ4世が創出した一神教の神。宗教改革であるアマルナ革命で創出されたが、定着しなかった。
アテンとも表記するエジプトの神。前14世紀のエジプト新王国のアメンホテプ4世が、それまでの多神教であるアメン神信仰をすて、本来の太陽神であるラーを唯一神として復活させ、あらたな神観念としてアトン神を創出して万物の創造主であるとした。アメンホテプ4世は、自ら名前をイクナートンと改名した。イクナートン(アクエンアテン、またはアケナアテンとも表記)とは、アトン神にとって有用な者の意味である。
イクナートンは同時にテーベのアメン神を祭る神殿を破壊し、その神官の職を廃止、新都テル=エル=アマルナに遷都するなど、いわゆるアマルナ革命を断行した。これは、この改革が、巨大化したアメン神殿の神官団の力をそぎ、ファラオの権力と権威を回復させ、一元支配を実現する狙いがあったことを示している。
この改革によってテーベのアメン神官団は職をなくすことになり、イクナートンの改革に反対し抵抗を続け、その死後に勢力を回復することに成功し、次のファラオとなったツタンカーメン王のときには再びアメン信仰に戻ることとなる。
イクナートンは同時にテーベのアメン神を祭る神殿を破壊し、その神官の職を廃止、新都テル=エル=アマルナに遷都するなど、いわゆるアマルナ革命を断行した。これは、この改革が、巨大化したアメン神殿の神官団の力をそぎ、ファラオの権力と権威を回復させ、一元支配を実現する狙いがあったことを示している。
この改革によってテーベのアメン神官団は職をなくすことになり、イクナートンの改革に反対し抵抗を続け、その死後に勢力を回復することに成功し、次のファラオとなったツタンカーメン王のときには再びアメン信仰に戻ることとなる。
アトン神の教義
イクナートンは、自ら『アトン(アテン)讃歌』を著し、熱烈な信仰告白をしている。そこに見られるアトン神信仰の特徴は次のようにまとめられている。<屋形禎亮『人類の起源と古代オリエント』世界の歴史1 1998 中央公論社 p.490>- アトン神はエジプト人だけではなく、異国の人々にも恵みを注ぐとされた。アメン=ラーはエジプトの国家神であり土着の信仰の色彩が強かったが、アトン神は帝国の宗教にふさわしい普遍性をもっていた。
- 王だけが教義の真の理解者とされた。イクナートンはアトン神の子であり、王だけが父なる神の命令を正しく理解し、実行できるとされた。従来のアメン神官団だけが神の言葉を伝えるという特権は否定された。
- アトン神は死後の世界も司るとされた。多神教の他の神と同じく冥界の支配者とされていたオシリス神も否定された。